、あるいは書物をも読まざるべからず。ゆえに学問には文字を知ること必要なれども、古来世の人の思うごとく、ただ文字を読むのみをもって学問とするは大なる心得違いなり。
 文字は学問をするための道具にて、譬《たと》えば家を建つるに槌《つち》・鋸《のこぎり》の入用なるがごとし。槌・鋸は普請《ふしん》に欠くべからざる道具なれども、その道具の名を知るのみにて家を建つることを知らざる者はこれを大工と言うべからず。まさしくこのわけにて、文字を読むことのみを知りて物事の道理をわきまえざる者はこれを学者と言うべからず。いわゆる「論語よみの論語しらず」とはすなわちこれなり。わが国の『古事記』は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と言うべし。経書《けいしょ》・史類の奥義には達したれども商売の法を心得て正しく取引きをなすこと能《あた》わざる者は、これを帳合いの学問に拙《つたな》き人と言うべし。数年の辛苦を嘗め、数百の執行金《しゅぎょうきん》を費やして洋学は成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎《うと》き人なり。これらの人物はただこれを文字の問屋と言うべき
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