、わが輩まず私立の地位を占め、あるいは学術を講じ、あるいは商売に従事し、あるいは法律を議し、あるいは書を著《あら》わし、あるいは新聞紙を出版するなど、およそ国民たるの分限に越えざることは忌諱を憚《はばか》らずしてこれを行ない、固く法を守りて正しく事を処し、あるいは政令信ならずして曲を被《こうむ》ることあらば、わが地位を屈せずしてこれを論じ、あたかも政府の頂門に一針を加え、旧弊を除きて民権を恢復《かいふく》せんこと方今至急の要務なるべし。
 もとより私立の事業は多端、かつこれを行なう人にもおのおの所長あるものなれば、わずかに数輩の学者にて悉皆その事をなすべきにあらざれども、わが目的とするところは事を行なうの巧みなるを示すにあらず、ただ天下の人に私立の方向を知らしめんとするのみ。百回の説諭を費やすは一回の実例を示すに若かず。今われより私立の実例を示し、「人間の事業はひとり政府の任にあらず。学者は学者にて私に事を行なうべし、町人は町人にて私に事をなすべし、政府も日本の政府なり、人民も日本の人民なり、政府は恐るべからず近づくべし、疑うべからず親しむべし」との趣を知らしめなば、人民ようやく向かうところを明らかにし、上下固有の気風もしだいに消滅して、はじめて真の日本国民を生じ、政府の玩具たらずして政府の刺衝となり、学術以下三者もおのずからその所有に帰して、国民の力と政府の力と互いに相平均し、もって全国の独立を維持すべきなり。
 以上論ずるところを概すれば、今の世の学者、この国の独立を助けなさんとするに当たりて、政府の範囲に入り官にありて事をなすと、その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。すべて世の事物をくわしく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、利害得失相半ばするものはあるべからず。わが輩もとよりためにするところありて私立を主張するにあらず、ただ平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人もし確証を掲げてこの論説を排し明らかに私立の不利を述ぶる者あらば、余輩は悦んでこれに従い、天下の害をなすことなかるべし。

    付録

 本論につき二、三の問答あり、よってこれを巻末に記す。
 その一にいわく、「事をなすは有力なる政府によるの便利に若《し》かず」と。答えていわく、「文明を進むるはひとり政府の力のみに依頼すべからず、その弁論すでに本文に明らかなり。かつ政府にて事をなすはすでに数年の実験あれどもいまだその奏功を見ず、あるいは私の事もはたしてその功を期し難しといえども、議論上において明らかに見込みあればこれを試みざるべからず。いまだ試みずしてまずその成否を疑う者はこれを勇者と言うべからず」
 二にいわく、「政府、人に乏し、有力の人物、政府を離れなば官務に差しつかえあるべし」と。答えていわく、けっして然《しか》らず、今の政府は官員の多きを患《うれ》うるなり。事を簡にして官員を減ずれば、その事務はよく整理してその人員は世間の用をなすべし、一挙して両得なり。ことさらに政府の事務を多端にし、有用の人を取りて無用の事をなさしむるは策の拙なるものと言うべし。かつこの人物政府を離るるも去りて外国に行くにあらず、日本に居て日本の事をなすのみ、なんぞ患《うれ》うるに足らん」
 三にいわく、「政府のほかに私立の人物、集まることあらば、おのずから政府のごとくなりて、本政府の権を落とすに至らん」と。答えていわく、「この説は小人の説なり。私立の人も在官の人も等しく日本人なり。ただ地位を異にして事をなすのみ。その実は相助けてともに全国の便利を謀《はか》るものなれば、敵にあらず真の益友なり。かつこの私立の人物なる者、法を犯すことあらばこれを罰して可なり、毫《ごう》も恐るるに足らず」
 四にいわく、「私立せんと欲する人物あるも、官途を離るれば他に活計の道なし」と。答えていわく、「この言は士君子の言うべきにあらず。すでにみずから学者と唱えて天下の事を患うる者、豈《あに》無芸の人物あらんや。芸をもって口を糊《こ》するは難きにあらず。かつ官にありて公務を司《つかさど》るも私にいて業を営むも、その難易、異なるの理なし。もし官の事務|易《やす》くしてその利益私の営業よりも多きことあらば、すなわちその利益は働きの実に過ぎたるものと言うべし。実に過ぐるの利を貪《むさぼ》るは君子のなさざるところなり。無芸無能、僥倖《ぎょうこう》によりて官途につき、みだりに給料を貪りて奢侈《しゃし》の資となし、戯れに天下のことを談ずる者はわが輩の友にあらず」
[#改段]

 五編





『学問のすすめ』はもと民間の読本または小学の教授本に供えたるものなれば、初編より二編三編までも勉《つと》めて俗語を用い文章を読みやすくするを趣意となしたり
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