ゆえに一国はなお商社のごとく、人民はなお社中の人のごとく、一人にて主客二様の職を勤むべき者なり。
第一 客の身分をもって論ずれば、一国の人民は国法を重んじ人間同等の趣意を忘るべからず。他人の来たりてわが権義を害するを欲せざれば、われもまた他人の権義を妨《さまた》ぐべからず。わが楽しむところのものは他人もまたこれを楽しむがゆえに、他人の楽しみを奪いてわが楽しみを増すべからず、他人の物を盗んでわが富となすべからず、人を殺すべからず、人を讒《ざん》すべからず、まさしく国法を守りて彼我《ひが》同等の大義に従うべし。また国の政体によりて定まりし法は、たといあるいは愚かなるも、あるいは不便なるも、みだりにこれを破るの理なし。師《いくさ》を起こすも外国と条約を結ぶも政府の権にあることにて、この権はもと約束にて人民より政府へ与えたるものなれば、政府の政に関係なき者はけっしてそのことを評議すべからず。
人民もしこの趣意を忘れて、政府の処置につきわが意に叶《かな》わずとて恣《ほしいまま》に議論を起こし、あるいは条約を破らんとし、あるいは師《いくさ》を起こさんとし、はなはだしきは一騎先駆け、自刃を携えて飛び出すなどの挙動に及ぶことあらば、国の政《まつりごと》は一日も保つべからず。これを譬えばかの百人の商社兼ねて申し合せのうえ、社中の人物十人を選んで会社の支配人と定め置き、その支配人の処置につき、残り九十人の者どもわが意に叶《かな》わずとて銘々に商法を議し、支配人は酒を売らんとすれば九十人の者は牡丹餅《ぼたもち》を仕入れんとし、その評議区々にて、はなはだしきは一了簡をもって私に牡丹餅の取引きを始め、商社の法に背きて他人と争論に及ぶなどのことあらば、会社の商売は一日も行なわるべからず。ついにその商社の分散するに至らば、その損亡《そんもう》は商社百人一様の引受けなるべし。愚もまたはなはだしきものと言うべし。ゆえに国法は不正不便なりといえども、その不正不便を口実に設けてこれを破るの理なし。もし事実において不正不便の箇条あらば、一国の支配人たる政府に説き勧めて静かにその法を改めしむべし。政府もしわが説に従わずんば、かつ力を尽くしかつ堪忍して時節を待つべきなり。
第二 主人の身分をもって論ずれば、一国の人民はすなわち政府なり。そのゆえは一国中の人民|悉皆《しっかい》政をなすべきものにあらざれば
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