を出だすべからず。たとい親の敵は目の前に徘徊《はいかい》するも私にこれを殺すの理なし。
昔、徳川の時代に、浅野家の家来、主人の敵討ちとて吉良上野介《きらこうずけのすけ》を殺したることあり。世にこれを赤穂《あこう》の義士と唱えり。大なる間違いならずや。この時日本の政府は徳川なり。浅野内匠頭《あさのたくみのかみ》も吉良上野介も浅野家の家来もみな日本の国民にて、政府の法に従いその保護を蒙《こうむ》るべしと約束したるものなり。しかるに一朝の間違いにて上野介なる者内匠頭へ無礼を加えしに、内匠頭これを政府に訴うることを知らず、怒りに乗じて私に上野介を切らんとしてついに双方の喧嘩となりしかば、徳川政府の裁判にて内匠頭へ切腹を申しつけ、上野介へは刑を加えず、この一条は実に不正なる裁判というべし。浅野家の家来どもこの裁判を不正なりと思わば、何がゆえにこれを政府へ訴えざるや。四十七士の面々申し合わせて、おのおのその筋により法に従いて政府に訴え出でなば、もとより暴政府のことゆえ、最初はその訴訟を取り上げず、あるいはその人を捕えてこれを殺すこともあるべしといえども、たとい一人は殺さるるもこれを恐れず、また代わりて訴え出で、したがって殺されしたがって訴え、四十七人の家来、理を訴えて命を失い尽くすに至らば、いかなる悪政府にてもついには必ずその理に伏し、上野介へも刑を加えて裁判を正しゅうすることあるべし。
かくありてこそはじめて真の義士とも称すべきはずなるに、かつてこの理を知らず、身は国民の地位にいながら国法の重きを顧みずしてみだりに上野介を殺したるは、国民の職分を誤り、政府の権を犯して、私に人の罪を裁決したるものと言うべし。幸いにしてその時、徳川の政府にてこの乱暴人を刑に処したればこそ無事に治まりたれども、もしもこれを免《ゆる》すことあらば、吉良家の一族また敵討ちとて赤穂の家来を殺すことは必定《ひつじょう》なり。しかるときはこの家来の一族、また敵討ちとて吉良の一族を攻むるならん。敵討ちと敵討ちとにて、はてしもあらず、ついに双方の一族朋友死し尽くるに至らざれば止まず。いわゆる無政無法の世の中とはこのことなるべし。私裁の国を害することかくのごとし。謹《つつし》まざるべからざるなり。
古《いにしえ》は日本にて百姓・町人の輩《はい》、士分の者に対して無礼を加うれば切捨て御免という法あり。こは政府
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