えて載《の》せざるのみならず、官に一毫の美事《びじ》あればみだりにこれを称誉してその実に過ぎ、あたかも娼妓《しょうぎ》の客に媚《こ》びるがごとし。またかの上書建白を見ればその文つねに卑劣を極《きわ》め、みだりに政府を尊崇すること鬼神のごとく、みずから賤しんずること罪人のごとくし、同等の人間世界にあるべからざる虚文を用い、恬《てん》として恥ずる者なし。この文を読みてその人を想えばただ狂人をもって評すべきのみ。しかるに今この新聞紙を出版し、あるいは政府に建白する者は、おおむねみな世の洋学者流にて、その私について見れば必ずしも娼妓にあらず、また狂人にもあらず。
 しかるにその不誠不実、かくのごときのはなはだしきに至る所以《ゆえん》は、いまだ世間に民権を首唱する実例なきをもって、ただかの卑屈の気風に制せられその気風に雷同して、国民の本色を見《あら》わし得ざるなり。これを概すれば、日本にはただ政府ありていまだ国民あらずと言うも可なり。ゆえにいわく、人民の気風を一洗して世の文明を進むるには、今の洋学者流にもまた依頼すべからざるなり。
 前条所記の論説はたして是《ぜ》ならば、わが国の文明を進めてその独立を維持するは、ひとり政府の能《よ》くするところにあらず。また今の洋学者流も依頼するに足らず、必ずわが輩の任ずるところにして、まずわれより事の端を開き、愚民の先をなすのみならず、またかの洋学者流のために先駆してその向かうところを示さざるべからず。今わが輩の身分を考うるに、その学識もとより浅劣なりといえども、洋学に志すこと日すでに久しく、この国にありては中人以上の地位にある者なり。輓近《ばんきん》世の改革も、もしわが輩の主として始めしことにあらざれば暗にこれを助けなしたるものなり。あるいは助成の力なきもその改革はわが輩の悦ぶところなれば、世の人もまたわが輩を目するに改革家流の名をもってすること必せり。すでに改革家の名ありて、またその身は中人以上の地位にあり、世人あるいはわが輩の所業をもって標的となす者あるべし。しからばすなわち今、人に先だって事をなすはまさにこれをわが輩の任と言うべきなり。
 そもそも事をなすに、これを命ずるはこれを諭《さと》すに若《し》かず、これを諭すはわれよりその実の例を示すに若かず。然りしこうして政府はただ命ずるの権あるのみ、これを諭して実の例を示すは私の事なれば
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