くところにまかしてこれを放頓することあらば、国の独立は一日も保つべからず。いやしくも人身窮理の義を明らかにし、その定則をもって一国経済の議論に施すことを知る者は、この理を疑うことなかるべし。
方今わが国の形勢を察し、その外国に及ばざるものを挙ぐれば、いわく学術、いわく商売、いわく法律、これなり。世の文明はもっぱらこの三者に関し、三者挙がらざれば国の独立を得ざること識者を俟《ま》たずして明らかなり。しかるにいまわが国において一もその体をなしたるものなし。
政府一新の時より在官の人物、力を尽くさざるにあらず、その才力また拙劣なるにあらずといえども、事を行なうに当たり如何《いかん》ともすべからざるの原因ありて、意のごとくならざるもの多し。その原因とは人民の無知文盲すなわちこれなり。政府すでにその原因のあるところを知り、しきりに学術を勧め、法律を議し、商法を立つるの道を示す等、あるいは人民に説諭し、あるいはみずから先例を示し、百方その術を尽くすといえども、今日に至るまでいまだ実効の挙がるを見ず、政府は依然たる専制の政府、人民は依然たる無気無力の愚民のみ。あるいはわずかに進歩せしことあるも、これがため労するところの力と費やすところの金とに比すれば、その奏功見るに足るもの少なきはなんぞや。けだし一国の文明はひとり政府の力をもって進むべきものにあらざるなり。
人あるいはいわく、「政府はしばらくこの愚民を御するに一時の術策を用い、その智徳の進むを待ちて後にみずから文明の域に入らしむるなり」と。この説は言うべくして行なうべからず。わが全国の人民数千百年専制の政治に窘《くる》しめられ、人々その心に思うところを発露すること能《あた》わず、欺きて安全を偸《ぬす》み、詐《いつわ》りて罪を遁《のが》れ、欺詐《ぎさ》術策は人生必需の具となり、不誠不実は日常の習慣となり、恥ずる者もなく怪しむ者もなく、一身の廉恥すでに地を払いて尽きたり、豈《あに》国を思うに遑《いとま》あらんや。政府はこの悪弊を矯《た》めんとしてますます虚威を張り、これを嚇《おど》しこれを叱し、強いて誠実に移らしめんとしてかえってますます不信に導き、その事情あたかも火をもって火を救うがごとし。ついに上下の間隔絶しておのおの一種無形の気風をなせり。その気風とはいわゆるスピリットなるものにて、にわかにこれを動かすべからず。近日に至
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