方より礼を言いて一方より礼を言わざるの理はなかるべし。
 かかる悪風俗の起こりし由縁を尋ぬるに、その本《もと》は人間同等の大趣意を誤りて、貧富強弱の有様を悪《あ》しき道具に用い、政府富強の勢いをもって貧弱なる人民の権理通義を妨ぐるの場合に至りたるなり。ゆえに人たる者は常に同位同等の趣意を忘るべからず。人間世界にもっとも大切なることなり。西洋の言葉にてこれをレシプロシチまたはエクウオリチと言う。すなわち初編の首《はじめ》に言える万人同じ位とはこのことなり。
 右は百姓・町人に左袒《さたん》して思うさまに勢いを張れという議論なれども、また一方より言えば別に論ずることあり。およそ人を取り扱うには、その相手の人物次第にておのずからその法の加減もなかるべからず。元来、人民と政府との間柄はもと同一体にてその職分を区別し、政府は人民の名代となりて法を施し、人民は必ずこの法を守るべしと、固く約束したるものなり。譬《たと》えば今、日本国中にて明治の年号を奉ずる者は、今の政府の法に従うべしと条約を結びたる人民なり。ゆえにひとたび国法と定まりたることは、たといあるいは人民一個のために不便利あるも、その改革まではこれを動かすを得ず。小心翼々|謹《つつし》みて守らざるべからず。これすなわち人民の職分なり。しかるに無学文盲、理非の理の字も知らず、身に覚えたる芸は飲食と寝ると起きるとのみ、その無学のくせに欲は深く、目の前に人を欺きて巧みに政府の法を遁《のが》れ、国法の何ものたるを知らず、己《おの》が職分の何ものたるを知らず、子をばよく生めどもその子を教うるの道を知らず、いわゆる恥も法も知らざる馬鹿者にて、その子孫繁盛すれば一国の益はなさずして、かえって害をなす者なきにあらず。かかる馬鹿者を取り扱うにはとても道理をもってすべからず、不本意ながら力をもって威《おど》し、一時の大害を鎮《しず》むるよりほかに方便あることなし。
 これすなわち世に暴政府のある所以《ゆえん》なり。ひとりわが旧幕府のみならず、アジヤ諸国古来みな然り。されば一国の暴政は必ずしも暴君暴吏の所為のみにあらず、その実は人民の無智をもってみずから招く禍なり。他人にけしかけられて暗殺を企つる者もあり、新法を誤解して一揆を起こす者あり、強訴を名として金持の家を毀《こぼ》ち、酒を飲み銭を盗む者あり。その挙動はほとんど人間の所業と思われず。か
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