現在、身の行状につき必ず不都合なることも多かるべし。その一、二を挙ぐれば、「貧は士の常、尽忠報国」などとて、みだりに百姓の米を食い潰して得意の色をなし、今日に至りて事実に困る者は、舶来の小銃あるを知らずして刀剣を仕入れ、一時の利を得て、残品に後悔するがごとし。和漢の古書のみを研究して西洋日新の学を顧みず、古《いにしえ》を信じて疑わざりし者は、過ぎたる夏の景気を忘れずして冬の差入りに蚊帷《かや》を買い込むがごとし。青年の書生いまだ学問も熟せずしてにわかに小官を求め、一生の間、等外に徘徊《はいかい》するは、半ば仕立てたる衣服を質に入れて流すがごとし。地理、歴史の初歩をも知らず、日用の手紙を書くこともむずかしくして、みだりに高尚の書を読まんとし、開巻五、六葉を見てまた他の書を求むるは、元手なしに商売をはじめて日に業を変ずるがごとし、和漢洋の書を読めども天下国家の形勢を知らず一身一家の生計にも苦しむ者は、算盤《そろばん》を持たずして万屋《よろずや》の商売をなすがごとし。
天下を治むるを知りて身を修むるを知らざる者は、隣家の帳合いに助言して自家に盗賊の入るを知らざるがごとし。口に流行の日新を唱えて心に見るところなくわが一身の何ものたるをも考えざる者は、売品の名を知りて値段を知らざるもののごとし。これらの不都合は現に今の世に珍しからず。その原因は、ただ流れ渡りにこの世を渡りて、かつてその身の有様に注意することなく、生来今日に至るまでわが身は何事をなしたるや。今は何事をなせるや。今後は何事をなすべきや」と、みずからその身を点検せざるの罪なり。ゆえにいわく、商売の有様を明らかにして後日の見込みを定むるものは帳面の総勘定なり、一身の有様を明らかにして後日の方向を立つるものは智徳事業の棚卸しなり。
世話の字の義
世話の字に二つの意味あり、一は「保護」の義なり、一は「命令」の義なり。保護とは人の事につき、傍《かたわら》より番をして防ぎ護り、あるいはこれに財物を与え、あるいはこれがために時を費やし、その人をして利益をも面目をも失わしめざるように世話をすることなり。命令とは人のために考えて、その人の身に便利ならんと思うことを指図《さしず》し、不便利ならんと思うことには意見を加え、心の丈《たけ》を尽くして忠告することにて、これまた世話の義なり。
右のごとく世話の字に、保護と指図
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