物《いきもの》にて容易にその機変を前知すべからず。これがために智者といえども案外に愚を働くもの多し。
また人の企ては常に大なるものにて、事の難易大小と時日の長短とを比較することはなはだ難《かた》し。フランキリン言えることあり、「十分と思いし時も事に当たれば必ず足らざるを覚ゆるものなり」と。この言まことに然り。大工に普請を言いつけ、仕立屋に衣服を注文して、十に八、九は必ずその日限を誤らざる者なし。こは大工・仕立屋のことさらに企てたる不埒《ふらち》にあらず。そのはじめに仕事と時日とを精密に比較せざりしより、はからずも違約に立ち至りたるのみ。さて世間の人は大工・仕立屋に向かいて違約を責むることは珍しからず、これを責むるにまた理屈なきにあらず。大工・仕立屋は常に恐れ入り、旦那はよく道理のわかりたる人物のように見ゆれども、その旦那なる者がみずから自分の請け合いたる仕事につき、はたして日限のとおりに成したることあるや。
田舎《いなか》の書生、国を出《い》ずるときは、難苦を嘗《な》めて三年のうちに成業とみずから期したる者、よくその心の約束を践《ふ》みたるや。無理な才覚をして渇望したる原書を求め、三ヵ月の間にこれを読み終わらんと約したる者、はたしてよくその約のごとくしたるや。有志の士君子「某《それがし》が政府に出ずれば、この事務もかくのごとく処し、かの改革もかくのごとく処し、半年の間に政府の面目を改むべし」とて、再三建白のうえようやく本望を達して出仕の後、はたしてその前日の心事に背《そむ》かざるや。貧書生が「われに万両の金あれば、明日より日本国中の門並《かどな》みに学校を設けて家に不学の輩なからしめん」と言う者を、今日良縁によりて三井・鴻ノ池の養子たらしむることあらば、はたしてその言のごとくなるべきや。この類の夢想を計れば枚挙《まいきょ》に遑《いとま》あらず。みな事の難易と時の長短とを比較せずして、時を計ること寛に過ぎ、事を視ること易《い》に過ぎたる罪なり。
また世間に事を企つる人の言を聞くに、「生涯のうち」または「十年のうちにこれを成す」と言う者はもっとも多く、「三年のうち」、「一年のうちに」と言う者はやや少なく、「一月のうち」、あるいは「今日この事を企てて今まさにこれを行なう」と言う者はほとんどまれにして、「十年前に企てたることを今すでに成したり」と言うがごときは余輩いま
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