の一ヵ条なり。怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。譬えば他人の幸と我の不幸とを比較して、我に不足するところあれば、わが有様を進めて満足するの法を求めずして、かえって他人を不幸に陥《おとしい》れ、他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するがごとし。いわゆるこれを悪《にく》んでその死を欲するとはこのことなり。ゆえにこの輩の不平を満足せしむれば、世上一般の幸福をば損ずるのみにて少しも益するところあるべからず。
 或る人いわく、「欺詐《ぎさ》虚言の悪事も、その実質において悪なるものなれば、これを怨望に比していずれか軽重の別あるべからず」と。答えていわく、「まことに然るがごとしといえども、事の原因と事の結果とを区別すれば、おのずから軽重の別なしと言うべからず。欺詐虚言はもとより太悪事たりといえども、必ずしも怨望を生ずるの原因にはあらずして、多くは怨望によりて生じたる結果なり。怨望はあたかも衆悪の母のごとく、人間の悪事これによりて生ずべからざるものなし。疑猜《ぎさい》、嫉妬、恐怖、卑怯の類は、みな怨望より生ずるものにて、その内形に見《あら》わるるところは、私語、密話、内談、秘計、その外形に破裂するところは、徒党、暗殺、一揆、内乱、秋毫《しゅうごう》も国に益すことなくして、禍《わざわい》の全国に波及するに至りては主客ともに免るることを得ず。いわゆる公利の費をもって私を逞《たくま》しゅうするものと言うべし」
 怨望の人間交際に害あることかくのごとし。今その原因を尋ぬるに、ただ窮の一事にあり。ただしその窮とは困窮、貧窮等の窮にあらず、人の言路を塞《ふさ》ぎ、人の業作《ぎょうさ》を妨ぐる等のごとく、人類天然の働きを窮せしむることなり。貧窮、困窮をもって怨望の源とせば、天下の貧民は悉皆《しっかい》不平を訴え、富貴はあたかも怨みの府にして、人間の交際は一日も保つべからざるはずなれども、事実においてけっして然らず、いかに貧賤《ひんせん》なる者にても、その貧にして賤《いや》しき所以《ゆえん》の原因を知り、その原因の己が身より生じたることを了解すれば、けっしてみだりに他人を怨望するものにあらず。その証拠はことさらに掲示するに及ばず、今日世界
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