ることあらば、その誇るところのものはけっして誇るに足らざるものならん。
譬えばインドの国体旧ならざるにあらず、その文物の開けたるは西洋紀元の前数千年にありて、理論の精密にして玄妙なるは、おそらくは今の西洋諸国の理学に比して恥ずるなきもの多かるべし。また在昔トルコの政府も、威権もっとも強盛にして、礼楽征伐の法、斉整ならざるはなし。君長賢明ならざるにあらず、廷臣方正ならざるにあらず。人口の衆多なること兵士の武勇なること近国に比類なくして、一時はその名誉を四方に燿《かがや》かしたることあり。ゆえにインドとトルコとを評すれば、甲は有名の文国にして、乙は武勇の大国と言わざるを得ず。
しかるに方今この二大国の有様を見るに、インドはすでに英国の所領に帰してその人民は英政府の奴隷に異ならず、今のインド人の業はただ阿片を作りて支那人を毒殺し、ひとり英商をしてその間に毒薬売買の利を得せしむるのみ。トルコの政府も名は独立と言うといえども、商売の権は英仏の人に占められ、自由貿易の功徳《くどく》をもって国の物産は日に衰微し、機《はた》を織る者もなく、器械を製する者もなく、額に汗して土地を耕すか、または手を袖にしていたずらに日月を消するのみにて、いっさいの製作品は英仏の輸入を仰ぎ、また国の経済を治むるに由なく、さすがに武勇なる兵士も貧乏に制せられて用をなさずと言う。
右のごとく、インドの文も、トルコの武も、かつてその国の文明に益せざるはなんぞや。その人民の所見わずかに一国内にとどまり、自国の有様に満足し、その有様の一部分をもって他国に比較し、その間に優劣なきを見てこれに欺かれ、議論もここに止まり、徒党もここに止まり、勝敗栄辱ともに他の有様の全体を目的とすることを知らずして、万民太平を謡うか、または兄弟《けいてい》墻《かき》に鬩《せめ》ぐのその間に、商売の権威に圧しられて国を失うたるものなり。洋商の向かうところはアジヤに敵なし。恐れざるべからず。もしこの勁敵《けいてき》を恐れて、兼ねてまたその国の文明を慕うことあらば、よく内外の有様を比較して勉むるところなかるべからず。
[#改段]
十三編
怨望の人間に害あるを論ず
およそ人間に不徳の筒条多しといえども、その交際に害あるものは怨望《えんぼう》より大なるはなし。貪吝《たんりん》、奢侈《しゃし》、誹謗《ひぼう》の類はいずれも
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