さんと顔を見合せて居ました。
『……名誉も義務も軍人なればこそよ。軍人なきゃ何でもない。私の兄さんなんか、国の為に死ななきゃならない義理は無いわ、ほほ、死ぬのが名誉だッて。』
其方の声がぴたと止まったら、何《どう》なすったかと思って見ると、彼の可厭な学生が其の顔を凝乎《じっ》と見て居るのでした。
『あらッ、また来てよ。』
若子さんと私が異口同音《いっしょ》に斯う云って、云合せた様に其処を去ろうとしますと、先刻《さっき》入口の処で見掛けた彼の可哀相な女の人が、其処に来合せたのでした。私は憎い人と可愛い人が、其処に集ってる様な気がして居ました。
『あらッ、プラットフォームに入れてよ。彼様《あんな》に人が入ってよ。美子さん早く入らッしゃい。』
若子さんも私も駆出してプラットフォームへ入ったのでした。此処とても直きに一杯の人になって了ったし、汽車がもう着くかもう着くかと、其方にばかし気を奪《と》られて、彼の二三人の人の事は拭った様に忘れて居ました。
万歳の声が其那《そこら》一体――プラットフォームからも、停車場の中からも盛んに起ると間もなく汽車が着いたのでした。其時の混雑と云ったら、とても私の口では云えない、況して私は若子さんと一緒に夢中になって、御兄さんの乗って居らッしゃる列車《くるま》を探したんですもの、人に揉《もま》れ揉れて押除けられたり、突飛ばされたりしながら。
下
若子さんの御兄さんに御目に掛った時は、何様《どんな》に嬉しかったでしょう。今思い出しても胸が動悸動悸《どきどき》しますの。況して若子さんの喜び様ッてありませんでした。御二人手を御取合で互に涙|含《ぐ》んでらッした御様子てッたら、私も戦地へお行でなさる兄さんが、急に欲しくなった位でした。
『美子さん、勉強なさいよ。勉強して女の偉い人になって下さい。若子を何時までも友達にして下さってね、私の母の処へも時々遊びに行って下さい。よいですか。』
私は唯胸が痛くなるばかりで、御返辞さえ出来ないのでした。
『兄さん、』と、若子さんは御呼掛でしたが、辛ッと私に聞こえる位の声で、『あのう、阿母さまも私も待って居てよ。』
『生命《いのち》があったらば。』と莞爾なすって。
私は若子さんの意《こころ》の中《うち》を思遣って、見て居られなくなって横を向きました。
すると、直き傍で急に泣声が発《おこ》ったのです。見ますとね、先刻の何人《だれ》でも呪いそうな彼の可怖い眼の方が、隣の列車の窓につかまって泣いてらッしゃるのでした、多くの人目も羞じないで。鋭い声の、あれが泣|饒舌《じゃべり》と云うのかも知れませんね。
『兄さん、貴方は死んで呉れちゃいやですよ。決して死ぬんじゃありませんよ。貴方は普通《ただ》の兵士《へいたい》ですよ。戦争《いくさ》の時、死ぬ為に、平生《つね》から扶持を受けてる人達とは違ってよ。兄さん自分から好んで、』
強い咳払いを一つ、態《わざ》と三つまで続けて、其女の方の言葉を紛らそうとしたのは、其兄上らしい三十近い兵士《へいたい》さんでした。それで、其兵士の顔には、他の人への羞しい様な色が溢れて、妹さんを見据えてお居での眼は、何様《どんな》に迷惑そうに見られたでしょう。
『もう可いから、彼方へ御行で……お前の云った事は、既《も》う充分解ってる。其処を退いたら可いだろう。邪魔だよ、何時までも一人で、其処を占領しているのは。御覧、皆さんが彼様に立って居らッしゃるじゃないか。』
其女の方の後には、幾個《いくたり》かの人の垣を為た様に取巻いて、何人も呆れてお居での様でした。
『彼の女は僕の云う様な事を云っている。』
突如《だしぬけ》に斯う云った人があったのです。見返ると、あの可厭《いやな》々々学生が、何時か私達の傍近くに立って居たではありませんか。
若子さんの御兄さんは、じろりと彼の学生の顔を御覧でした。
若子さんは小さな声で、『兄さん、彼女の方は随分ですわねえ。』
『女だから可いさ。』と、御兄さんは気にも御止めなさらない様でした。
其時、私は不図あの可哀相な――私が何となくそう思った――乳呑子を懐いた女の人を見出したのです。それはつい、泣饒舌をして居た方から、二つ先の窓の処でした。そして、窓の中から見下して居た若い兵士の、黒い黒い顔の、それでも優しいそうな其眼に、一杯涙が見えて居ました。
『……鶴さん、些《ち》っとも未練残さねえで、えれえ働きをしてね、人に笑われねえで下せえよ。』
と、眼には涙がほろほろと溢れてお居ででしたが、『お前さんが戦死《うちじに》さッしゃッても、日本中の人の為だと思って私諦めるだからね、お前さんも其気で……ええかね。』と、赤さんを抱いてお居での方は袖に顔を押当てお了いでした。
涙を拭いたのは、其方の良人の兵士さんと私ば
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