つて、その戸の透間から目に見えぬ詩魂が朝に晩に抜け出して来ては私に耳語する。その教へを書きとめたものが私の歌である。さういつて大に自負したものの様に思へるが、果してどうか、別に解があるかも知れない。
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美くしき陶器《すゑもの》の獅子顔あげて安宅の関の松風を聞く
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昔は海岸にあつた筈の安宅の関が今では余程奥へ引込んでゐると聞いてゐる。その安宅の関へ行かれた時の作。そこに記念碑でも立つてゐて九谷焼の獅子が据つてゐるものと見える。天高き晩秋、訪ふものとてもない昔の夢の跡に松風の音が高い。それを聞くもの我と唐獅子と。
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いそのかみ古き櫛司[#「櫛司」はママ]に埴盛りて君が養ふ朝顔の花
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これも写生歌ではないと思ふ。詩人が朝顔を作るとしたらこんな風に作るだらう、またかうして作つて欲しいといふ気持の動きが私には感ぜられる。そこがこの歌の値打ちである。
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秋風や船、防波堤、安房の山皆痛ましく離れてぞ立つ
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昭和八年の秋、横浜短歌会席上の作。空気が
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