、絵画的の姿、形をとつて現はれたものが目前の山の霧であつて、即ち仏法最後の涅槃境に外ならないのであらう。
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夕には行き逢ふ子無き山中に人の気《け》すなり紫の藤
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夕方になれば人も通らない淋しい山の径だが、春が来れば紫の藤が咲く。それの艶にやさしい姿を見るとまるで人にでも逢つたやうで懐しい。作者の何にでも注がれる深い同情心がたまたま山中の野生ひの藤に注がれた一例である。
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蓼科に山と人との和を未だ得ぬにもあらで物をこそ思へ
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わたしは山を愛して常に山に遊ぶ、山と人との調和の如きは、私の場合には、直ぐに出来て何の面倒も入らない。この蓼科でも同じことで私と山とは既にすつかり溶け合つてゐて、その間につけこむ空虚はないのである。それだのになほ物思ひに沈むのは如何したことだ。しかしそれは山の罪ではない、別に理由があるからだ。
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木の下に白髪垂れたる後ろ手の母を見るなり山ほととぎす
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皐月が咲き蜜柑の花が咲くやうになると人里近くにも山ほととぎすが
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