が明亮になるのである。

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家七間霧にみな貸す初秋を山の素湯《さゆ》めで来しやまろうど
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 赤城山巓大沼のほとりにその昔一軒の山の宿があつた。東京の暑気に堪へぬ高村光太郎君が夏中好んで滞在してゐた。そこへ一夏同君を尋ねて寛先生、三宅克巳、石井柏亭両画伯などと御一しよに私も行つたことがある。作者はこの時は御留守居であつたが、私達が吹聴したその風光にあこがれてその後子達を連れて登られ、途中雷雨の為にひどい目に会はれたことがある。そのために赤城の風光は一時御機嫌にふれてひどい嘲罵に会ひ、先に行つた私達のでたらめであつたと言はれたことを覚えて居る。しかしこの歌を読むとやはり当時のあの赤城の宿らしい感じがする。客など殆どなくその代りに霧が来て室を占領し、肴は山のものと大沼の魚だけである。それを山の素湯といひ、こんな所へよくいらつしやいましたといふわけである。

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我が為に時皆非なり旅すればまして悲しき涙流るる
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 これは上山田への途上千が滝のグリインホテルに泊つた時の作で、当時の心持がよく窺へる歌だ。家に居れば淋しさに堪へられない、そこで友を誘つて旅に出たが、旅に出て見れば家に居るにまして一草一木往時の思ひ出のしみないものもなく涙ばかり出て来る。それを一句に時皆非なりと簡潔に表現したのである。又その時の歌に わが友と浅間の坂に行き逢ふも恋しき秋に似たることかな といふのもある。

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花草の満地に白と紫の陣立てゝこし秋の風かな
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 前の白百合の白き畑の場合と同じく色彩の音楽で、前のは初夏、之は仲秋の高原の心持であらう。それを旗さしものの風に靡く軍陣によそへて画面に印した迄である。

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蜜柑の木|門《かど》をおほへる小菴を悲しむ家に友与へんや
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 相州吉浜の真珠荘は作者の最も親しい友人の一人有賀精君の本拠で、伊豆の吉田の抛書山荘と共に何囘となく行かれ、ここでも沢山の歌がよまれてゐる。今そこには大島を望んで先生夫妻の歌碑が立つてゐる。その蜜柑山に海を見る貸別荘が数棟建つてゐる。その一つを悲しむ為の家として私に貸しませんかと戯れた歌である。悲しむ家といふ表現に注意されたい。こんな一つの造句でも凡
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