田温泉に遊んだ時の作。所謂写生の歌であるが、作者はこの歌に於て、尋常でない副景を描いて目に見えるやうに自然を切り取り、その上で之を秋の夕暮といふ枠の中へ収めて一個の芸術に仕上げてゐる。千曲川の川原蓬が焚火の火に焦げてそれが火の子になつて飛び出す秋の夕の光景、それをその儘抒しただけであるが、直ちに人心に訴へる力を備へ正に尋常の写生ではない。
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※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]頭《かざ》したる牡丹火となり海燃えぬ思ひ乱るる人の子の夢
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誰かあれ、欧洲語に熟した人があつたら試みにこの歌を訳して見たらと私は思ふ。或は既に訳されて居るかも知れない。この頃の晶子歌は相当訳されてゐて世界の読詩家を魅了したものであるから。この歌などはその内容だけで欧洲人は感心するだらうのに、日本人にはその言葉の持つ音楽さへ味はへるのだから喜びは重るわけだ。どうかその積りで味はつて頂きたい。敗残の我が民族もこんな詩を持つてゐるのだと世界に誇示して見たい。思ひ乱れるわが夢を形であらはさうか、それは髪にかざした牡丹が火になりそれが海に落ちて海が燃える、君看ずや人の心の海の火の、燃えさかる紫の炎を、それが私の夢の形だ。まづく翻訳するとこんな風にもならうか。
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白波を指弾くほど上げながら秋風に行く千曲川かな
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晶子さんほど繊細で微妙な感覚の琴線を持つ人を私は知らない。欧洲の詩人の詩にはいくらもありさうであるが、わが国の少くも歌人の間には断じて第二人を知らない。千曲川を秋風が撫でて白波を立ててゐる。その白波の高さを指で弾くほどと規定して事象に具体性を与へ得るのは全く霊妙な直覚力によるもので、感覚の鋭敏な詩人に限つて許されることだ。
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転寝の夢路に人の逢ひにこし蓮歩のあとを思ふ雨かな
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とてもむつかしい歌で私にはよく分らないが、こんな風にとけるかもしれない。糸のやうな春雨が降つてゐる。静かにそれを見てゐるとこんな風な幻像が浮ぶ。男のうたたねの夢の中へ麗人が逢ひにゆく。その互ひ違ひにやさしく軽く運ばれる足跡が宙に残る。それが雨になつて降る。他の解があれば教へを受けたい。第五集「舞姫」の巻頭の歌で、作者も自信のある作に違ひ
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