ある。例へばこんな風の場合がその一つ。世間に喧伝してゐる晶子さんの歌は若い時のもの許りで絢爛として目を射るやうなものが多い。 罪多き男懲らせと肌清く黒髪長く創られし我 清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人皆美くしき 咒ひ歌書き重ねたる反古取りて黒き胡蝶をおさへぬるかな 春はただ盃にこそ注ぐべけれ智恵あり額の木蓮の花 人の子に借ししは罪か我が腕白きは神になど譲るべき などいふ様な「乱れ髪」調がそれだとすれば之等は即ち音高く鳴る鈴である。そんな鈴は皆取り捨ててしまつた。昨日と違ふのはそれだけのことである。私自身は少しも変つてゐはしないのに世間はもはや振り向かうともしない。鈴などは借物である。その借物の音を彼此言はれるのがいやだし特に高い音には厭になつたので皆捨ててしまつたまでである。

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空青し雁の渡るを眺むらん孝標の女も国府の館に
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 葛飾の十橋荘で作つた歌。そこから国府の台が近く見える。そこは更科日記の作者が少女の時代、父の国司(菅原孝標)の手許で過した所である。今日は空が晴れて美しい日だから古への文学少女も外を眺めて渡る雁がねを聞いてゐることであらう。孝標の女は源氏物語のフアンでこの点晶子さんと同好のよしみがありお気に入りの一人と思はれる。

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紫に墨しみ入りて我が心寂し銀糸の紋を縫はまし
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 紫は作者の最も好む色でそれを以て心の象徴としてゐた処、いつしか時の流れの墨の色がしみこんで大分くすんでしまつた。それだけでは少し寂しすぎるので、銀糸で縫ひ取りでもしようといふのであるが、さて銀糸の紋とは何であらうか。李白でも読まうか、絵でも習はうか、梅蘭芳を見に行かうか、それとも温泉へでも行かうか。詩人の心も欲しいものは好ましい刺戟であらう。

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屋根の雪解けて再び雨と降る更に涙にならんとすらん
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 屋根の雪(第一変化)の解けて雨垂れになつて落ちる(第二変化)のを眺めてゐると、第三番目に変化したら何になるのだらうと考へるに至つた。その時は疑もなく人の涙線に入つて涙となつて流れる様に思はれる。もとは同じ水蒸気であるからさうなくてはならぬのであらう。

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薔薇少し米《よね》用なしと法師より使来たらばをかしからまし

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