あらはれてゐて面白い。

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夜明方喉いと乾くまだ斯かる心の苦には逢はずして死ぬ
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 昭和三年頃病気をして入院された時の作。作者は結婚以来今日まで二十数年間其の間大小様々のことで心を苦しめて来たが、今朝夜明の苦しさに比すべき程の苦しみを覚えてゐない。それを忍び難い苦痛の様に思つたのは知らなかつたのであると共に、けさの喉の乾きに比すべきものに出逢はずに死んでゆけることをよしとせねばなるまい。これは兼て肉体を一方ならず重んずる作者に新たに一の例証を与へた経験でもある。

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ただ子等の楽しき家と続けかしわが学院の敷石の道
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 文化学院の学監としての女史の面目がこんなによく出て居る歌はないと共に、女学校の教師の中にこれほど親切な心を持つた先生が一人でも多くあつて欲しいと思はれる様な歌である。つまり文化学院のやり方は生徒を楽しませながら教養を与へるやり方で著々その実をあげてゐる、唯その楽しい生徒が帰つてゆく家庭も等しく楽しい所であつて欲しい、それが憂鬱な場所、不幸な場所、悲惨な場所でないことを望まずにはゐられないといふのである。卒業式の日に一人一人が花束を貰ふなどいふ暖か味は晶子さんでなければ持ち合せなかつたことではないか。

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歎くこと多かりしかど死ぬ際に子を思ふこと万にまさる
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 重態で死の幻を見た刹那の感想である。やはり子を思ふ不浄の涙が最後の涙である事を知つた偽らざる母性愛の姿である。精神は肉体に劣るが、強烈な恋愛も母性愛には若かないのである。

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真白くて五月桜の寂しきを延元陵に云へる僧かな
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 昭和三年の晩春吉野に遊び後醍醐帝の延元陵に参られた時如意輪堂の僧でもあらうか、既に桜は散りはて五月桜の残つてゐたのをさう批判したのであらう。その心持はしかし吉野朝の心持でもあるのでこの歌となつたのであらう。

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人よりも母のつとめも知れるごと君あらぬ日に振舞ふは誰
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 良人の留守ともなれば文人としての又愛人としての一面は後退し、母としての晶子さんだけが前進し活躍するのであるが、それが一寸自分にも面白いのである。

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