。我より古を為すといふことが一番よいのであるが、誰にでもは望めない。多くの場合拠り処がほしいであらう。今日の短歌の拠り処は大体二つあつて、一は万葉、一は啄木であるやうだ。啄木は大に宜しいが、万葉は暫く之を捨つべきであらう、その万葉の代りになるものとして私はここに晶子歌をとりあげて之を国民大衆に紹介したい。而してまだ諸君の全く知らない、日本にもこんなよいものがあるといふ事を分つて貰ひ、精神的食糧の一部にも当てて貰ふと共に来るべき新文化建設の礎にもして欲しいと思つて之を書き出すわけだ。さうは云ふものの私にも晶子歌の全体などとても分らない。その分つた人は故寛先生一人位のものだらう。云ひ直せば、晶子歌のほんとうの読者は唯一人よりゐなかつたとも云へるわけだ。私など半分も分るか分らない位である。人間の偉らさが違ふのだから仕方ない。それにしても今日斯ういふ試みをする上に私以上の適任者があるかといへばそれも無ささうである。そこで止むを得ず私が当るのである。
前置はその位にして直ちに歌を引き出さう。私は近年岩野喜久代さんのイニシヤチフによつて「晶子秀歌選」なる一書を編んだ。この本も紙型が焼けたので今では珍本になつてしまつたが、作者が前後四十余年間に作つたといはれる数万首中当時私の見る事の出来た二万余首を資料として二千六百首を選んだものである。のち之を年代順に春夏秋冬二巻に分ち、その前にプレリウドとして「乱れ髪」、「源氏振」の二小巻を付けて之を作つた。私は自分が選んだものながらこんなよい本はないと思つて日夜珍重し讃歎してゐる。私はこの本を台本として青年層の読者の為にはその中から美しいまた不覇奔放な初期の作から順に、然らざる読者層の為には晶子歌の完成した縹渺たる趣きを早く知つて貰ひたく晩年の作から逆に交互に拾つて行くことにする。
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黒髪の千筋の髪の乱れ髪かつ思ひ乱れ思ひ乱るる
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明治三十四年七月、作者二十四歳の時出た第一集「乱れ髪」は一躍著者の文名を高からしめ、その自由奔放、大胆率直な内容と稍唐突奇矯な表現とを以て一世を驚倒させ毀誉相半ばしたものであるが、作者に取つては一生後悔の種ともなつた。罪は主としてその表現法にある。明治の歌を研究する人が出たら分ることと思ふが、私の胡乱な記憶と推定とに従へば、晶子調、之を拡げていへば明星調、いひ
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