はやはり自分の身体しか持たない人間なのか。突然、暗闇が滑り墜ちた。あのとき突然、僕の頭上に暗闇が滑り墜ちて来た。それから何も彼も崩壊していた。それから僕は惨劇のなかを逃げ廻った。突然、暗闇が滑り墜ちた。僕の歩いている側に流れてゆく群衆、バラック、露店……思い出は僕と擦れちがう。比喩や類型が擦れちがう。擦れちがう僕には何にもない。何にもない。僕は既に荒々しく剥ぎとられた人間。荒々しく押寄せてくる波が僕を……。
 僕の人生は小説か何かのようにうまく排列されては行かないようだ。僕はこの振り落されている箱のなかで夜どおし一睡もしない。この場所を立退かねばならないという脅迫が僕の胸を締めつけるようだが、何か僕はもっとはてしないものを胸一杯吸い込んでいるのかもわからない。これは僕をとり囲んでいる日毎の辛さとも異う。熱っぽく、懐しく、殆どとらえどころのないもの、だが、すぐ側にある。そうだ、僕は僕の身体の隅々に甦ってくるお前の病苦の美しさにみとれているのだ。滅茶苦茶に悲しい濁ったものを突破ろうとして冴えてゆくものを……。

 お前はよく僕に夢の話をしてくれた。たった今みたばかりの夢を語るとき、お前はそ
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