れは僕の見上げる晴れ渡った青空のなかに流れているようだった。僕は学校の植物園をひとりで散歩していた。柔らかい糸杉の蔭に野うばらの花が咲いていた。五月の日の光は滴り、風は静かだった。蒼穹の弧線の弾力や彼の立っている地面の弾力が直接僕の胸や踵に迫って来るようだった。荘厳な殿堂の幻が見えて、人類の流れは美しくつづいて行く。だが、そういう想像のすぐ向側で、何か凄惨な翳が忽ち僕のなかに拡がって行く。それも書物の頁から流れてくる観念かもしれなかった。傷つけあい、痛めあい、はてしなく不幸な群の連続、暗澹とした予感がどこからともなく僕に紛れ込んで来るのだ。全世界は一瞬毎にその破滅の底へずり降ってゆく。静かに音もなくずり降ってゆく。この不安定なもの狂おしい気分は植物園の空気のなかにも閃めいた。急に湿気を含んだ風が草の葉を靡かすと、樹木の上を雲が走って、陽は翳って行った。すると光を喪った叢の翳にキリストの磔刑の図を見るような気がした。ふと、植物園の低い柵の向に麦畑のうねりや白い路が見えた。と、その黒い垣が忽ち僕を束縛している枠のようにおもえるのだった。
僕は小娘のように何かを待ち望んでいたのかもしれない
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