出したとき僕は何かはっとした。ジェラル・ド・ネルヴァルのことを誌したその数頁の文章は怕しい追憶か何かのように僕をわくわくさせる。「理性と称する頭脳の狂いない健全さのなかに、我々の諸能力を結合している鎖の薄弱さに就いて、その鎖が、過ぎゆく夢の羽搏きにも破れるほど脆く細々と擦り減ったように見える時がありはしないか。……眠れない夜々、心を痛めて待ちあぐむ日々に突然的な事件の衝動、こういうありふれた悩みの一つでも、人の神経のなかにある調子はずれの鐘を乱打するに充分であろう」と、その書物は悲しげに語っている。が、僕にはあのアドリイヌと呼ぶ少女のことも、青いリボンの端に結んで匍わせていた一匹の大鰕のことも、突然、幻想の統制力が崩れた惨めな瞬間のことも、何か朧気に心おぼえがあるのではないかという気がして来る。だが、僕はあのネルヴァルが書いたという「夢と人生」はまだ読んだことがないのだ。
 ふと僕は図書館の地下室の椅子に腰かけていた昔の自分もおもいだす。学生の頃、あそこは休憩室になっていたが、はじめて僕があの地下室に這入って行ったのは、朝から夢のような雨が煙っている日だった。室内は湿気と情緒に満たされていた。僕が窓際のテーブルに肘をついて椅子に腰かけると、僕の眼の位置の高さに窓の外の地面が見えた。視野は仄暗い光線とすぐ向側にある建物に遮られてひどく狭められていたが、雨に濡れている芝生の緑が何か柔かい調子を僕のなかに誘った。その時、僕は世界がすべて柔かい調子で優しく包まれているようにおもえた。僕の視野が狭くとも僕の経験が乏しく僕の知識が浅くとも、僕を包んでいる世界は優しく僕を受入れてくれそうだった。僕は世界が静かな文章の流れのようにおもえた。あのとき僕はその流れのなかに立停まっていたのではないか。僕はしずかに嗟嘆した。まるでもう一つの生涯を畢えて回想に耽けっているもののようであった。
 だが、学生の僕は、僕の上にかぶさる世界が今にも崩れ墜ちそうになる幻想によく悩まされた。ときどき僕の神経は擦り切れて、今にも張り裂けるかとおもえた。僕は東京駅の食堂に友人と一緒にいた。衰弱した異常なセロファンのような空気が僕の眼の前から、その食堂の円天井まで漲っているのだった。僕の向に友人がいるということも、僕の頭上に円天井があるということも、刻々に耐え難くなり、測り知れないことがらのようになっていた。
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