隅に身を縮めて寝た。私は何処かへ突抜けてゆきたいやうな心の疼きで一杯だつた。甥が帰郷すると始めて私はその部屋で久振りに解放されたやうな気持がした。が、ある朝、新聞記者が訪ねて来ると、
「唐突な質問で恐縮ですが世態調査で伺ひたいのです」と先日の求間広告で申込があつたかどうか訊ねた。私は[#底本はここで改行]「求間独身英語家庭教師に応ず」の広告が既に二週間前新聞に掲載されてゐたのもまだ知つてゐなかつた。
「さうですか、何分条件が特殊なので申込があつたかと思ひましたが」と新聞記者は微笑しながら去つた。
藁をも掴まうとしてゐる自分の姿が寒々と私の目に見える。年が明ければ甥はここへ戻つて来るので、それまでにはどうしても立退かねばならなかつた。私は真空のなかに放り出されたやうな感覚で、年末の巷を歩き廻るのだつた。省線駅に出る露店にとりかこまれた路は絶え間なしに人の流れで犇めいてゐる。私はそこを歩いてゐると、あたりの人間がみんな私同様の戦災者の宿なしの群のやうにおもへたり、ふと周囲に動いてゐる人間はただ単に私の夢遊病の眼に映る幻覚ではないかと思へる。私は勤先の出版社や知人のところへ出向いて部屋のことを頼んでみるのだつたが、下宿の部屋へ戻つて来ると、今は誰もゐない部屋なのに緊迫した空気と追詰められてゐる自分が見えてくる。硝子戸だけで雨戸のない窓はガタガタと寒い風にふるへた。
(私が幼かつた頃には女中が足袋を温めてはかせてくれた。そんなにいたはられ大切にされながらも私はよく泣きたい気持にされた。火の気のない朝、氷雨ふる窓にふるへながら、いま私はあの子供をおもひだすのだ。)[#底本は「だすのだ)。」]
私は心のなかでこんな言葉を繰返してゐた。その言葉は私の胸だけを打つのかもしれなかつたが……。私にとつて、火の気のない冬は既に三度目だつた。
ある日、私は阿佐谷の友人を訪ねて行つた。Sは外出中だつたが間もなく帰つて来るといふので引とめられた。座敷に坐つてゐても、私は何かしーんとした空気を身につけてゐるやうな気持だつたが、話相手に出て来たSの細君が、ふと不安げにこんなことを語りだした。
「おそろしい病気もあるものですよ。Hさんの親戚の山宮さんといふ方が一週間前に亡くなられたのですが、はじめ中国から復員する船のなかで、ふと通路が分らなくなつたことがあるのです。上官にひどく頭部を撲られた
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