夜。僕のなかでなりひびく夜の歌。
 生の深みに、……僕は死の重みを背負いながら生の深みに……。死者よ、死者よ。僕をこの生の深みに沈め導いて行ってくれるのは、おんみたちの嘆きのせいだ。日が日に積み重なり時間が時間と隔たってゆき、遙《はる》かなるものは、もう、もの音もしないが、ああ、この生の深みより、あおぎ見る、空間の荘厳さ。幻たちはいる。幻たちは幻たちは嘗《かつ》て最もあざやかに僕を惹《ひ》きつけた面影となって僕の祈願にいる。父よ、あなたはいる、縁側の安楽椅子に。母よ、あなたはいる、庭さきの柘榴《ざくろ》のほとりに。姉よ、あなたはいる、葡萄棚《ぶどうだな》の下のしたたる朝露のもとに。あんなに美しかった束《つか》の間《ま》に嘗ての姿をとりもどすかのように、みんな初々《ういうい》しく。
 友よ、友よ、君たちはいる、にこやかに新しい書物を抱《かか》えながら、涼しい風の電車の吊革《つりかわ》にぶらさがりながら、たのしそうに、そんなに爽やかな姿で。
 隣人よ、隣人よ、君たちはいる、ゆきずりに僕を一瞬感動させた不動の姿でそんなに悲しく。
 そして、妻よ、お前はいる、殆ど僕の見わたすところに、最も近く
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