来た、戻って来た、僕の歌ごえが僕にまた戻って来た。これは僕の錯乱だろうか。これは僕の無限回転だろうか。だが、戻って来るようだ、戻ってくるようだ。何かが今しきりに戻って来るようだ。僕のなかに僕のすべてが。……僕はだんだん爽やかに人心地がついてくるようだ。僕が生活している場がどうやらわかってくるようだ。僕は群衆のなかをさまよい歩いてばかりいるのではないようだ。僕は頭のなかをうろつき歩いてばかりいるのでもないようだ。久しい以前から僕は踏みはずした、ふらふらの宇宙にばかりいるのでもないようだ。久しい以前から、既に久しい以前から鎮魂歌を書こうと思っているようなのだ。鎮魂歌を、鎮魂歌を、僕のなかに戻ってくる鎮魂歌を……。
僕は街角の煙草屋で煙草を買う。僕は突離された人間だ。だが殆《ほとん》ど毎朝のようにここで煙草を買う。僕は煙草をポケットに入れてロータリーを渡る。鋪道《ほどう》を歩いて行く。鋪道にあふれる朝の鎮魂歌……。僕がいつも行く外食食堂の前にはいつものように靴磨屋《くつみがきや》がいる。鋪道の細い空地《あきち》には鶏を入れた箱、箱のなかで鶏が動いている。いつものように何もかもある。電車が、
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