字下げ終わり]
殆《ほとん》ど絶え間なしに妖《あや》しげな言葉や念想が流れてゆく。僕は流されて、押し流されてへとへとになっているらしい。僕は何年間もう眠れないのかしら。僕の眼は突張って、僕の空間は揺れている。息をするのもひだるいような、このふらふらの空間に……。ふと、揺れている空間に白堊《はくあ》の大きな殿堂が見えて来る。僕はふらふらと近づいてゆく。まるで天空のなかをくぐっているように……。大きな白堊の殿堂が僕に近づく。僕は殿堂の門に近づく。天空のなかから浮き出てくるように、殿堂の門が僕に近づく。僕はオベリスクに刻《ほ》られた文字を眺める。僕は驚く。僕は呟《つぶや》く。
[#天から2字下げ]原子爆弾記念館
僕はふらふら階段を昇ってゆく。僕は驚く。僕は呟く。僕は訝《いぶか》る。階段は一歩一歩僕を誘い、廊下はひっそりと僕を内側へ導く。ここは、これは、ここは、これは……僕はふと空漠《くうばく》としたものに戸惑っている。コトコトと靴音がして案内人が現れる。彼は黙って扉を押すと、僕を一室に導く。僕は黙って彼の後についてゆく。ガラス張りの大きな函《はこ》の前に彼は立留る。函の中には何も存在していない。僕は眼鏡と聴音器の連結された奇妙なマスクを頭から被《かぶ》せられる。彼は函の側《そば》にあるスイッチを静かに捻《ひね》る。……突然、原爆直前の広島市の全景が見えて来た。
……突然、すべてが実際の現象として僕に迫って来た。これはもう函の中に存在する出来事ではなさそうだった。僕は青ざめる。飛行機はもう来ていた。見えている。雲のなかにかすかな爆音がする。僕は僕を探《さが》す。僕はいた。僕はあの家のあそこに……。あのときと同じように僕はいた。僕の眼は街の中の、屋根の下の、路の上の、あらゆる人々の、あの時の位置をことごとく走り廻る。僕は叫ぶ。(厭《いや》らしい装置だ。あらゆる空間的角度からあらゆる空間現象を透視し、あらゆる時間的速度であらゆる時間的進行を展開さす呪《のろ》うべき装置だ。恥ずべき詭計《きけい》だ。何のために、何のために、僕にあれをもう一度叩きつけようとするのだ!)
僕は叫ぶ。僕の眼に広島上空に閃《ひらめく》く光が見える。光はゆるゆると夢のように悠然《ゆうぜん》と伸び拡《ひろが》る。あッと思うと光はさッと速度を増している。が、再び瞬間が細分割されるように光はゆるゆるとた
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