にうちふるへてゐたのにちがひない。死の近づいて来たお前には、すべてが透視され、天の※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1−87−32、読みは「こう」、229−上−5]気はすぐ身近かにあつたのではないか。あの頃、お前が病床で夢みてゐたものは何なのだらうか。
僕は今しきりに夢みる、真昼の麦畑から飛びたつて、青く焦げる大空に舞ひのぼる雲雀の姿を……。(あれは死んだお前だらうか、それとも僕のイメージだらうか)雲雀は高く高く一直線に全速力で無限に高く高く進んでゆく。そして今はもう昇つてゆくのでも墜ちてゆくのでもない。ただ生命の燃焼がパツと光を放ち、既に生物の限界を脱して、雲雀は一つの流星となつてゐるのだ。(あれは僕ではない。だが、僕の心願の姿にちがひない。一つの生涯がみごとに燃焼し、すべての刹那が美しく充実してゐたなら……。)
底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版
1983(昭和58)年8月1日初版第一刷発行
初出:「群像」
1951(昭和26)年5月号
※「その時も、僕は幼稚園にはじめて連れて行かれた子供のやうに、隅つこで指を噛んでゐるのだらうか。」の文は他の本では次のようになっている。
「定本原民喜全集II」(青土社 1978年9月20日発行)では「その時も、僕は幼稚園にはじめて連れて行かれた内気な子供のやうに、隅つこで指を噛んでゐるのだらうか。」とされており、「内気な」という言葉が入っている。
「原民喜全集第二巻」(芳賀書店 初版発行 昭和40年8月15日)でも同様に、「内気な」という言葉が入っている。
※「僕の身躰、僕の存在、僕の核心、どうして僕はこんなに冷えきつているのか。」の文は他の本では次のようになっている。
「定本原民喜全集II」(青土社 1978年9月20日発行)では「僕の身躰、僕の存在、僕の核心、どうして僕は今こんなに冷えきつているのか。」とされており、「今」という言葉が入っている。
「原民喜全集第二巻」(芳賀書店 初版発行 昭和40年8月15日)でも同様に、「今」という言葉が入っている。
入力:ジェラスガイ
校正:砂場清隆
2002年9月20日作成
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