所だつたが、そこに坐ると、破れ窓を塞ぐためにマツチのレツテルらしい一メートル四方位の紙がぶらさげてある。その毒々しい細かい模様を眺めると、それがそのまま何か血まみれの記憶と似かよつてゐた。小さな姪たちは耳や指を火傷してゐたし、次兄の肩の傷もヒリヒリと痛むらしかつた。
 ある朝、食事の箸をおいた甥は、ふと頭に手をやつて、「髪の毛が抜ける」と云ひだした。
「禿頭になつたのかしら、ひとの帽子を借りたので」と不審がる。さういへば、甥はここへ戻つて来たとき大きな麦藁帽をかむつてゐたのだつた。まだ禿というほど目だつてもゐなかつたが、妹に連れられて廿日市の方の医者に診てもらつた。結局はつきりしたことは判らなかつた。がそれからも脱毛は小止みなくつづいた。「いくらでも脱ける」と、甥は心細さうに呟き、だんだんいらだつて来た。そのうちに彼の頭はすつかりつるつるになつてゐた。私もその頃、猛烈な下痢に悩まされひどく衰弱してゐたが、ある日、廿日市の長兄のところで何気なくそんなことを話してゐると、傍にゐた近所の人が、
「それはよほど気をつけた方がいいですぞ」と、何かぞつとするやうな調子で心配してくれた。今度の遭難者で下痢や脱毛や斑点が現れると、危険だといふことが、そこではもう大分知れわたつてゐた。今迄無事で助かつてゐたと思ふ人もつぎつぎ死んで行くし、鼻血が出だすともう助からないといふこともその時耳にした。妹は甥の様子がだんだん衰へて行くのに気づき、
「あれはもうあぶない」と囁きだした。
 甥は食事の度毎に神経質に顔をしかめ、
「これは何か厭なにほひがする」と、ひどく不平さうに呟くのだつた。後で考へてみると、臭いにほひがするのは神経の所為ではなく、その頃彼の内臓が腐敗しかかつてゐたためなのだらう。斑点の話が出て、私たちが自分の体を調らべ、二つ三つあるなど云ひあつてゐると、黙つて側できいてゐた甥が、
「僕にもある」と、はつきりした声で云つた。が、それは何か冷やりとさすものを含んだ調子であつた。

 その前の日から甥は血を喀きだしたが、恰度廿日市の長兄のところへ立寄つてゐると、夕食を済したところへ、八幡村から電話がかかつて来た。長兄も嫂も今夜は八幡村の方へ泊るつもりで出掛けた。私たちは長い暗い路を歩きながら、また人の死に目に遇ふのかとおもつた。暗い夜空からは雨が降りだした。私の眼の片隅には、神経に異常
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