空は真白だつたが、稲の穂はふさふさと揺れてゐた。たつた四五枚の障子を修繕しただけで、私はもう精魂尽きるほど、ぐつたりした。朝たべた二杯の淡いお粥は、既に胃の腑になかつたし、餉までにはまだ二三時間あつた。ふと、私の眼は、鍋に残つてゐる糊に注がれてゐた。(これはメリケン粉だな。それなら食べられる)はじめ指先で少し摘んで試みると、次にはもう瞬くうちにそれを平らげてゐるのだつた。(舌切雀、舌切雀)と私は口の糊を拭ひながら、ひとり苦笑した。

 秋雨があがると暑い日がもり返して来た。村では、道路を修繕するため、戸毎に勤労奉仕が課せられた。私がふらふらの足どりで、国民学校の校庭に出掛けて行くと、帳面を手にした男がすぐ名前をそれに控へ、「あんたは車の方をやつてくれ」と云ふ。「病気あがりなのですから、なるべく楽な方へ廻して下さい」と私は嘆願した。漸く土砂掘りの方へ私は廻された。校庭の後に屹立してゐる崖を、シヤベルで切り崩して行くのであつたが、飢ゑてゐる私には、嚇と明るい陽光だけでも滅入るおもひだつた。土砂はいくらでも出て来るし、村人は根気よく働いた。その土砂を車に積んで外へ運んで行く連中も、みんな、いきいきしてゐたし、涼しさうな眼なざしをした頬かむりの女もゐた。
「お粥腹では力が出んなあ」
 いつの間にか私の側には、大阪の罹災親爺が立つてゐるのだつた。

  巨人

 台風が去つた朝は、稲の穂が風の去つた方角に頭を傾むけ、向の低い山の空には、青い重さうな雲がたたずんでゐた。
 二階からほぼ眼の位置と同じところに眺められる、その山は、時によつていろんな表情を湛へた。その山の麓から展がる稲田と、すぐ手まへに見える村社と、稲田の左側を区切つてゐる堤と、私の眼にうつる景色は凡そ限られてゐた。堤の向は川でその辺まで行くと、この渓流のながめは、ちよつと山の温泉へでも行つたやうな気持をいだかせるのだつたが、ひだるい私は滅多に出歩かなかつた。
 ぼんやりと私はその低い山を眺めてゐた。真中が少し窪んでゐるところから覗いてゐる空は、それが、真青な時でも、白く曇つてゐる時でも、何か巨人の口に似てゐるやうにおもへだした。その巨きな口も、飢ゑてゐるのだらうか。いつのまにか、飢ゑてゐる私は、その山の上の口について、愚かな童話を描いてゐた。……あの巨人の口はなかなか御馳走をたべるのだ。朝は大きな太陽があそこから
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