います。たとえネルヴァルの生涯は不幸だったにしろ、彼こそはフランス・サンボリストの先駆者の栄光を担っています。
 それに比べると、田中英光の錯乱振りは現在の日本の風俗的悲惨の別冊版のような気がします。そういう意味でなら後世一顧されることはあっても、彼の作品が内面的に未来の文学へ架橋するものはなさそうです。だがこれとても独り田中英光に限ったことではなく今日のほとんどすべての作家が陥いっている惨めさなのでしょう。
 本多秋五は「近代文学」十二月号の後記で、いゝ仕事をつゞけてきた文芸雑誌が存続してゆかなくなる現状を指摘し、「文学的良心を代償としても経営の繁栄をはかる以外に生存の道がないという鉄則がわれ/\の面前でうち樹てられたようである」といっています。文学的にいゝ雰囲気が一般に出来上るのはいつのことでしょう。

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美は 追いつめられた姿から生れ出る、美は 実りそして激しい力づよさで
うち砕く、旧いうつわを。
[#地から1字上げ]――(リルケ)――
[#ここで字下げ終わり]

 惨めさに抵抗し、未来へ架橋するものこそ――それをこそ、われわれはお互に求め合っているのではな
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