路に面したガラス窓から何気なく内側を覗くと、ぼんやりと兄の顔が見え、兄は手真似で向へ廻れと合図した。ふと彼はそこは新しく建つた工場で家の玄関の入口はその横手にあるのに気づいた。
「よお、だいぶ景気がよささうですね」
 甥がニコニコしながら声をかけた。その甥の背後にくつつくやうにして、はじめて見る、快活さうな細君がゐた。彼は明日こちらへ到着するペンクラブのことが新聞にかなり大きく扱はれてゐて、彼のことまで郷土出身の作家として紹介してあるのを、この家に来て知つた。「原子爆弾を食ふ男だな」と兄は食卓で軽口を云ひだした。が、少し飲んだビールで忽ち兄は皮膚に痒みを発してゐた。
「こちらは喰はれる方で……こないだも腹の皮をメスで剥がれた」
 原子爆弾症かどうかは不明だつたが、近頃になつて、兄は皮膚がやたらに痒くて困つてゐた。A・B・C・C(原子爆弾影響研究所)で診察して貰ふと、皮膚の一部を切とつて、研究のため、本国へ送られたといふのである。この前見た時にくらべると、兄の顔色は憔悴してゐた。すぐ側に若夫婦がゐるためか、嫂の顔も年寄めいてゐた。夜遅く彼は下駄をつつかけて裏の物置部屋を訪ねてみた。ここに
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