ように静かに死ねるものなら……彼は散歩の途中、いつまでも野晒《のざら》しになっている小さな死骸を、しみじみと眺《なが》めるのだった。これは、彼の記憶に灼《や》きつけられている人間の惨死図とは、まるで違う表情なのだ。
「これからさき、これからさき、あの男はどうして生きて行くのだろう」――彼は年少の友人達にそんな噂《うわさ》をされていた。それは彼が神田の出版屋の一室を立退《たちの》くことになっていて、行先がまだ決まらず、一切が宙に迷っている頃のことだった。雑誌がつぶれ、出版社が倒れ、微力な作家が葬られてゆく情勢に、みんな暗澹《あんたん》とした気分だった。一そのこと靴磨《くつみがき》になろうかしら、と、彼は雑沓《ざっとう》のなかで腰を据えて働いている靴磨の姿を注意して眺めたりした。
「こないだの晩も電車のなかで、FとNと三人で噂したのは、あなたのことです。これからさき、これからさき、どうして一たい生きて行くのでしょうか」近くフランスへ留学することに決定しているEは、彼を顧みて云った。その詠嘆的な心細い口調は、黙って聞いている彼の腸《はらわた》をよじるようであった。彼はとにかく身を置ける一つ
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