やってくるのか、つきつめて考えれば茫《ぼう》としてわからないのだった。
「小さい子供だけでも、どこかへ疎開させたら……」康子は夜毎《よごと》の逃亡以来、頻《しき》りに気を揉《も》むようになっていた。「早く何とかして下さい」と妻の光子もその頃になると疎開を口にするのであったが、「おまえ行ってきめて来い」と、清二は頗《すこぶ》る不機嫌であった。女房、子供を疎開させて、この自分は――順一のように何もかもうまく行くではなし――この家でどうして暮してゆけるのか、まるで見当がつかなかった。何処《どこ》か田舎《いなか》へ家を借りて家財だけでも運んでおきたい、そんな相談なら前から妻としていた。だが、田舎の何処にそんな家がみつかるのか、清二にはまるであてがなかった。この頃になると、清二は長兄の行動をかれこれ、あてこすらないかわりに、じっと怨《うら》めしげに、ひとり考えこむのであった。
順一もしかし清二の一家を見捨ててはおけなくなった。結局、順一の肝煎《きもいり》で、田舎へ一軒、家を借りることが出来た。が、荷を運ぶ馬車はすぐには傭《やと》えなかった。田舎へ家が見つかったとなると、清二は吻《ほっ》として、荷造に忙殺されていた。すると、三次の方の集団疎開地の先生から、父兄の面会日を通知して来た。三次の方へ訪ねて行くとなれば、冬物一切を持って行ってやりたいし、疎開の荷造やら、学童へ持って行ってやる品の準備で、家のうちはまたごったかえした。それに清二は妙な癖があって、学童へ持って行ってやる品々には、きちんと毛筆で名前を記入しておいてやらぬと気が済まないのだった。
あれをかたづけたり、これをとりちらかしたりした挙句、夕方になると清二はふいと気をかえて、釣竿《つりざお》を持って、すぐ前の川原に出た。この頃あまり釣れないのであるが、糸を垂《た》れていると、一番気が落着くようであった。……ふと、トットトットという川のどよめきに清二はびっくりしたように眼をみひらいた。何か川をみつめながら、さきほどから夢をみていたような気持がする。それも昔読んだ旧約聖書の天変地異の光景をうつらうつらたどっていたようである。すると、崖《がけ》の上の家の方から、「お父さん、お父さん」と大声で光子の呼ぶ姿が見えた。清二が釣竿をかかえて石段を昇って行くと、妻はだしぬけに、「疎開よ」と云った。
「それがどうした」と清二は何のことかわからないので問いかえした。
「さっき大川がやって来て、そう云ったのですよ、三日以内に立退《たちの》かねばすぐにこの家とり壊《こわ》されてしまいます」
「ふーん」と清二は呻《うめ》いたが、「それで、おまえは承諾したのか」
「だからそう云っているのじゃありませんか。何とかしなきゃ大変ですよ。この前、大川に逢《あ》った時にはお宅はこの計画の区域に這入《はい》りませんと、ちゃんと図面みせながら説明してくれた癖に、こんどは藪《やぶ》から棒に、二〇メートルごとの規定ですと来るのです」
「満洲ゴロに一杯|喰《く》わされたか」
「口惜《くや》しいではありませんか。何とかしなきゃ大変ですよ」と、光子は苛々《いらいら》しだす。
「おまえ行ってきめてこい」そう清二は嘯《うそぶ》いたが、ぐずぐずしている場合でもなかった。「本家へ行こう」と、二人はそれから間もなく順一の家を訪れた。しかし、順一はその晩も既に五日市町の方へ出かけたあとであった。市外電話で順一を呼出そうとすると、どうしたものか、その夜は一向、電話が通じない。光子は康子をとらえて、また大川のやり口をだらだらと罵《ののし》りだす。それをきいていると、清二は三日後にとり壊される家の姿が胸につまり、今はもう絶体絶命の気持だった。
「どうか神様、三日以内にこの広島が大空襲をうけますように」
若い頃クリスチャンであった清二は、ふと口をひらくとこんな祈をささげたのであった。
その翌朝、清二の妻は事務室に順一を訪れて、疎開のことをだらだらと訴え、建物疎開のことは市会議員の田崎が本家本元らしいのだから、田崎の方へ何とか頼んでもらいたいというのであった。
フン、フンと順一は聴いていたが、やがて、五日市へ電話をかけると、高子にすぐ帰ってこいと命じた。それから、清二を顧みて、「何て有様だ。お宅は建物疎開ですといわれて、ハイそうですか、と、なすがままにされているのか。空襲で焼かれた分なら、保険がもらえるが、疎開でとりはらわれた家は、保険金だってつかないじゃないか」と、苦情云うのであった。
そのうち暫くすると、高子がやって来た。高子はことのなりゆきを一とおり聴いてから、「じゃあ、ちょっと田崎さんのところへ行って来ましょう」と、気軽に出かけて行った。一時間もたたぬうちに、高子は晴れ晴れした顔で戻って来た。
「あの辺の建物疎開はあれで打切ることにさせると、田崎さんは約束してくれました」
こうして、清二の家の難題もすらすら解決した。と、その時、恰度《ちょうど》、警戒警報が解除になった。
「さあ、また警報が出るとうるさいから今のうちに帰りましょう」と高子は急いで外に出て行くのであった。
暫くすると、土蔵|脇《わき》の鶏小屋で、二羽の雛《ひな》がてんでに時を告げだした。その調子はまだ整っていないので、時に順一たちを興がらせるのであったが、今は誰も鶏の啼声に耳を傾けているものもなかった。暑い陽光《ひざし》が、百日紅《さるすべり》の上の、静かな空に漲《みなぎ》っていた。……原子爆弾がこの街を訪れるまでには、まだ四十時間あまりあった。
[#地から2字上げ](昭和二十四年一月号『近代文学』)
底本:「夏の花・心願の国」新潮文庫、新潮社
1973(昭和48)年7月30日初版発行
1999(平成11)年5月25日38刷
※「嵐《あらし》が揉《も》みくちゃにされて」を、「嵐に」としている異本がある。
入力:tatsuki
校正:皆森もなみ
2002年10月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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