た。下士官に引率された兵士の一隊が悲壮な歌をうたいながら、突然、四つ角から現れる。頭髪に白鉢巻《しろはちまき》をした女子勤労学徒の一隊が、兵隊のような歩調でやって来るのともすれちがった。
 ……橋の上に佇《たたず》んで、川上の方を眺めると、正三の名称を知らない山々があったし、街のはての瀬戸内海の方角には島山が、建物の蔭《かげ》から顔を覗《のぞ》けた。この街を包囲しているそれらの山々に、正三はかすかに何かよびかけたいものを感じはじめた。……ある夕方、彼はふと町角を通りすぎる二人の若い女に眼が惹きつけられた。健康そうな肢体《したい》と、豊かなパーマネントの姿は、明日の新しいタイプかとちょっと正三の好奇心をそそった。彼は彼女たちの後を追い、その会話を漏《も》れ聴こうと試みた。
「お芋がありさえすりゃあ、ええわね」
 間ののびた、げっそりするような声であった。

 森製作所では六十名ばかりの女子学徒が、縫工場の方へやって来ることになっていた。学徒受入式の準備で、清二は張切っていたし、その日が近づくにつれて、今|迄《まで》ぶらぶらしていた正三も自然、事務室の方へ姿を現し、雑用を手伝わされた。新しい作業服を着て、ガラガラと下駄をひきずりながら、土蔵の方から椅子を運んでくる正三の様子は、慣れない仕事に抵抗しようとするような、ぎごちなさがあった。……椅子が運ばれ、幕が張られ、それに清二の書いた式順の項目が掲示され、式場は既に整っていた。その日は九時から式が行われるはずであった。だが、早朝から発せられた空襲警報のために、予定はすっかり狂ってしまった。
「……備前《びぜん》岡山、備後灘《びんごなだ》、松山上空」とラジオは艦載機来襲を刻々と告げている。正三の身支度《みじたく》が出来た頃、高射砲が唸《うな》りだした。この街では、はじめてきく高射砲であったが、どんよりと曇った空がかすかに緊張して来た。だが、機影は見えず、空襲警報は一旦《いったん》、警戒警報に移ったりして、人々はただそわそわしていた。……正三が事務室へ這入《はい》って行くと、鉄兜《てつかぶと》を被った上田の顔と出逢《であ》った。
「とうとう、やって来ましたの、なんちゅうことかいの」
 と、田舎《いなか》から通勤して来る上田は彼に話しかける。その逞《たくま》しい体躯《たいく》や淡泊な心を現している相手の顔つきは、いまも何となしに正三に安堵《あんど》の感を抱《いだ》かせるのであった。そこへ清二のジャンパー姿が見えた。顔は颯爽《さっそう》と笑《え》みを浮べようとして、眼はキラキラ輝いていた。……上田と清二が表の方へ姿を消し、正三ひとりが椅子に腰を下ろしていた時であった。彼は暫《しばら》くぼんやりと何も考えてはいなかったが、突然、屋根の方を、ビュンと唸《うな》る音がして、つづいて、パリパリと何か裂ける響がした。それはすぐ頭上に墜《お》ちて来そうな感じがして、正三の視覚はガラス窓の方へつっ走った。向うの二階の檐《のき》と、庭の松の梢《こずえ》が、一瞬、異常な密度で網膜に映じた。音響はそれきり、もうきこえなかった。暫くすると、表からドヤドヤと人々が帰って来た。「あ、魂消《たまげ》た、度胆《どぎも》を抜かれたわい」と三浦は歪《ゆが》んだ笑顔をしていた。……警報解除になると、往来をぞろぞろと人が通りだした。ざわざわしたなかに、どこか浮々した空気さえ感じられるのであった。すぐそこで拾ったのだといって誰かが砲弾の破片を持って来た。
 その翌日、白鉢巻をした小さな女学生の一クラスが校長と主任教師に引率されてぞろぞろとやって来ると、すぐに式場の方へ導かれ、工員たちも全部着席した頃、正三は三浦と一緒に一番後からしんがりの椅子に腰を下ろしていた。県庁動員課の男の式辞や、校長の訓示はいい加減に聞流していたが、やがて、立派な国民服姿の順一が登壇すると、正三は興味をもって、演説の一言一句をききとった。こういう行事には場を踏んで来たものらしく、声も態度もキビキビしていた。だが、かすかに言葉に――というよりも心の矛盾に――つかえているようなところもあった。正三がじろじろ観察していると、順一の視線とピッタリ出喰《でく》わした。それは何かに挑《いど》みかかるような、不思議な光を放っていた。……学徒の合唱が終ると、彼女たちはその日から賑《にぎ》やかに工場へ流れて行った。毎朝早くからやって来て、夕方きちんと整列して先生に引率されながら帰ってゆく姿は、ここの製作所に一脈の新鮮さを齎《もたら》し、多少の潤いを混えるのであった。そのいじらしい姿は正三の眼に映った。
 正三は事務室の片隅《かたすみ》で釦《ボタン》を数えていた。卓の上に散らかった釦を百箇ずつ纏《まと》めればいいのであるが、のろのろと馴《な》れない指さきで無器用なことを続けていると、来客と応対しながらじろじろ眺めていた順一はとうとう堪《たま》りかねたように、「そんな数え方があるか、遊びごとではないぞ」と声をかけた。せっせと手紙を書きつづけていた片山が、すぐにペンを擱《お》いて、正三の側にやって来た。「あ、それですか、それはこうして、こんな風にやって御覧なさい」片山は親切に教えてくれるのであった。この彼よりも年下の、元気な片山は、恐しいほど気がきいていて、いつも彼を圧倒するのであった。

 艦載機がこの街に現れてから九日目に、また空襲警報が出た。が、豊後水道《ぶんごすいどう》から侵入した編隊は佐田岬《さたみさき》で迂廻《うかい》し、続々と九州へ向うのであった。こんどは、この街には何ごともなかったものの、この頃になると、遽《にわ》かに人も街も浮足立って来た。軍隊が出動して、街の建物を次々に破壊して行くと、昼夜なしに疎開の馬車が絶えなかった。
 昼すぎ、みんなが外出したあとの事務室で、正三はひとり岩波新書の『零の発見』を読み耽《ふけ》っていた。ナポレオン戦役の時、ロシア軍の捕虜になったフランスの一士官が、憂悶《ゆうもん》のあまり数学の研究に没頭していたという話は、妙に彼の心に触れるものがあった。……ふと、そこへ、せかせかと清二が戻って来た。何かよほど興奮しているらしいことが、顔つきに現れていた。
「兄貴はまだ帰らぬか」
「まだらしいな」正三はぼんやり応《こた》えた。相変らず、順一は留守がちのことが多く、高子との紛争も、その後どうなっているのか、第三者には把《つか》めないのであった。
「ぐずぐずしてはいられないぞ」清二は怒気を帯びた声で話しだした。「外へ行って見て来るといい。竹屋町の通りも平田屋町辺もみんな取払われてしまったぞ。被服支廠《ひふくししょう》もいよいよ疎開だ」
「ふん、そういうことになったのか。してみると、広島は東京よりまず三月ほど立遅れていたわけだね」正三が何の意味もなくそんなことを呟《つぶや》くと、
「それだけ広島が遅れていたのは有難いと思わねばならぬではないか」と清二は眼をまじまじさせてなおも硬《かた》い表情をしていた。
 ……大勢の子供を抱《かか》えた清二の家は、近頃は次から次へとごったかえす要件で紛糾していた。どの部屋にも疎開の衣類が跳繰《はねく》りだされ、それに二人の子供は集団疎開に加わって近く出発することになっていたので、その準備だけでも大変だった。手際《てぎわ》のわるい光子はのろのろと仕事を片づけ、どうかすると無駄話に時を浪費している。清二は外から帰って来ると、いつも苛々《いらいら》した気分で妻にあたり散らすのであったが、その癖、夕食が済むと、奥の部屋に引籠《ひきこも》って、せっせとミシンを踏んだ。リュックサックなら既に二つも彼の家にはあったし、急ぐ品でもなさそうであった。清二はただ、それを拵《こしら》える面白さに夢中だった。「なあにくそ、なあにくそ」とつぶやきながら、針を運んだ。「職人なんかに負けてたまるものか」事実、彼の拵えたリュックは下手《へた》な職人の品よりか優秀であった。
 ……こうして、清二は清二なりに何か気持を紛らし続けていたのだが、今日、被服支廠に出頭すると、工場疎開を命じられたのには、急に足許《あしもと》が揺れだす思いがした。それから帰路、竹屋町辺まで差しかかると、昨日まで四十何年間も見馴れた小路が、すっかり歯の抜けたようになっていて、兵隊は滅茶苦茶に鉈《なた》を振るっている。二十代に二三年他郷に遊学したほかは、殆どこの郷土を離れたこともなく、与えられた仕事を堪えしのび、その地位も漸《ようや》く安定していた清二にとって、これは堪えがたいことであった。……一体全体どうなるのか。正三などにわかることではなかった。彼は、一刻も速く順一に会って、工場疎開のことを告げておきたかった。親身で兄と相談したいことは、いくらもあるような気持がした。それなのに、順一は順一で高子のことに気を奪われ、今は何のたよりにもならないようであった。
 清二はゲートルをとりはずし、暫《しばら》くぼんやりしていた。そのうちに上田や三浦が帰って来ると、事務室は建物疎開の話で持ちきった。「乱暴なことをするのう。うちに、鋸《のこぎり》で柱をゴシゴシ引いて、繩《なわ》かけてエンヤサエンヤサと引張り、それで片っぱしからめいで行くのだから、瓦《かわら》も何もわや苦茶じゃ」と上田は兵隊の早業《はやわざ》に感心していた。「永田の紙屋なんか可哀相《かわいそう》なものさ。あの家は外から見ても、それは立派な普請だが、親爺《おやじ》さん床柱を撫《な》でてわいわい泣いたよ」と三浦は見てきたように語る。すると、清二も今はニコニコしながら、この話に加わるのであった。そこへ冴《さ》えない顔つきをして順一も戻って来た。

 四月に入ると、街にはそろそろ嫩葉《わかば》も見えだしたが、壁土の土砂が風に煽《あお》られて、空気はひどくザラザラしていた。車馬の往来は絡繹《らくえき》とつづき、人間の生活が今はむき出しで晒《さら》されていた。
「あんなものまで運んでいる」と、清二は事務室の窓から外を眺めて笑った。大八車に雉子《きじ》の剥製《はくせい》が揺れながら見えた。「情ないものじゃないか。中国が悲惨だとか何とか云いながら、こちらだって中国のようになってしまったじゃないか」と、流転の相《すがた》に心を打たれてか、順一もつぶやいた。この長兄は、要心深く戦争の批判を避けるのであったが、硫黄島が陥落した時には、「東条なんか八つ裂きにしてもあきたらない」と漏《もら》した。だが、清二が工場疎開のことを急《せ》かすと、「被服支廠から真先に浮足立ったりしてどうなるのだ」と、あまり賛成しないのであった。
 正三もゲートルを巻いて外出することが多くなった。銀行、県庁、市役所、交通公社、動員署――どこへ行っても簡単な使いであったし、帰りにはぶらぶらと巷《ちまた》を見て歩いた。……堀川町の通りがぐいと思いきり切開かれ、土蔵だけを残し、ギラギラと破壊の跡が遠方まで展望されるのは、印象派の絵のようであった。これはこれで趣もある、と正三は強いてそんな感想を抱《いだ》こうとした。すると、ある日、その印象派の絵の中に真白な鴎《かもめ》が無数に動いていた。勤労奉仕の女学生たちであった。彼女たちはピカピカと光る破片の上におりたち、白い上衣《うわぎ》に明るい陽光を浴びながら、てんでに弁当を披《ひら》いているのであった。……古本屋へ立寄ってみても、書籍の変動が著しく、狼狽《ろうばい》と無秩序がここにも窺《うかが》われた。「何か天文学の本はありませんか」そんなことを尋ねている青年の声がふと彼の耳に残った。
 ……電気休みの日、彼は妻の墓を訪れ、その序《つい》でに饒津《にぎつ》公園の方を歩いてみた。以前この辺は花見遊山《はなみゆさん》の人出で賑《にぎ》わったものだが、そうおもいながら、ひっそりとした木蔭《こかげ》を見やると、老婆と小さな娘がひそひそと弁当をひろげていた。桃の花が満開で、柳の緑は燃えていた。だが、正三にはどうも、まともに季節の感覚が映って来なかった。何かがずれさがって、恐しく調子を狂わしている。――そんな感想を彼は友人に書き送った。
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