柄がわかるやうだつた。「をぢさんについてゐるのだよ。をぢさんについてゐれば大丈夫さ」と男は連れてゐる子供を顧みて頻りに云つてゐた。
「この子は迷ひ子で今朝から私につき歩いてゐるのです」
僕はその男が皆目わけの分らぬ状態のなかにゐる感動から、迷ひ子を庇つてゐるやうにおもへた。迷ひ子も、それを保護してゐる男も、それから僕も、すべて、かいもく訳のわからぬものに凭掛つてゐたのだらう。だから世界はあの時、消滅しても僕にとつては余り不思議ではなかつた。だが、世界は消滅しなかつた。夜が明けると、僕はまた、まのあたり惨禍のまつただ中にゐるのだつた。僕はあの迷ひ子がその後どうなつたか知らない。あの男によつて、ほんとに保護されて救はれただらうか。それとも突離されてしまつただらうか。
雑沓の人混のなかを歩いてゐると、あちこちから洩れてくる雑音のなかに、奇妙に哀しい調子をもつたジヤズのギターの音がある。ふと気がつくと、僕のすぐ眼の前を老人が一人妙に哀しい調子で歩いてゐるのだ。老人の肩から縄でぶらさげてゐる小さな荷物の包みは、ギターの音につれてチンチンチンと小刻みに揺れ動いてゐる。視ると、老人の足はびつこなのだ。彼は自分ではもうどんな哀しい後姿を待つてゐるかさへ気づかないのだらう。ジヤズの音に踊らされて地上を飛び歩くやうな奇妙に哀しい切ない恰好は無数の泣号のなかから湧いて出た一つの幻かもしれない。何処か涯しらぬところへ押流されてゆくやうに、何処か涯しらぬところへ人を誘ふやうに、その姿は次第に人混のなかに紛れてゆく。
僕は夜ふけに部屋を出て深夜の街を歩いてみる。と、露次の芥箱から芥箱へ、何か漁りながら歩いてゐる男がゐるのだ。男は懐中電燈と雑嚢をぶらぶらさせながら、芥箱から芥箱へ飛歩いてゐるのだ。電車通りの舗道では、また別の男を見た。竹のステツキのさきに仕掛を附けて、それで、煙草の吸殻を摘みとつてゐるのだ。吸殻から吸殻へ男は奇妙に哀しい飛歩きの姿をしてゐる。追詰られてゐる人間は、どうして、あのやうに一やうに奇妙なアクセントをもつのだらうか。その姿が僕の姿と重なりあふ。「部屋」といふものを持てない僕はやはり地上を飛歩いてゐる男だらうか。
僕はこの部屋の真青な冷凍感の底で、ぼんやり夢をみてゐた。家を焼かれ、居住を拒まれだんだん衰弱してゆく子供たち、……ギリシヤに、ポーランドに、ルーマニヤ
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