ンツを取出してくれた。そこへ誰か奇妙な身振りで闖入して来たものがあつた。顔を血だらけにし、シヤツ一枚の男は工場の人であつたが、私の姿を見ると、
「あなたは無事でよかつたですな」と云ひ捨て、「電話、電話、電話をかけなきや」と呟きながら忙しさうに何処かへ立去つた。
 到るところに隙間が出来、建具も畳も散乱した家は、柱と閾ばかりがはつきりと現れ、しばし奇異な沈黙をつづけてゐた。これがこの家の最後の姿らしかつた。後で知つたところに依ると、この地域では大概の家がぺしやんこに倒壊したらしいのに、この家は二階も墜ちず床もしつかりしてゐた。余程しつかりした普請だつたのだらう、四十年前、神経質な父が建てさせたものであつた。
 私は錯乱した畳や襖の上を踏越えて、身につけるものを探した。上着はすぐに見附かつたがずぼんを求めてあちこちしてゐると、滅茶苦茶に散らかつた品物の位置と姿が、ふと忙しい眼に留まるのであつた。昨夜まで読みかかりの本が頁をまくれて落ちてゐる。長押から墜落した額が殺気を帯びて小床を塞いでゐる。ふと、何処からともなく、水筒が見つかり、つづいて帽子が出て来た。ずぼんは見あたらないので、今度は足に
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