が統制する力をもっていないのではないかという一点にある。
近頃読んだ小説で阿部知二氏の「暗い影」と「おぼろ夜」の二編はまことに印象に残る作品だったが、あのような陰惨な題材に心惹かれて描くということに、この作者の心象風景を見るような気もしたが、それにもかかわらず、この暗い救いのない風景は今日殆どすべての人に共通するもののようにおもわれる。殊に「おぼろ夜」の方は戦争によって引裂かれた青年の心の一典型として心打たれるものがあったが、たま/\表現六月号の田中英光氏「ヒラザワ氏病」を読むと「おぼろ夜」の主人公とはまた異なるが、今日の引裂かれた心のもう一つの型を見せつけられたような気がした。恐らく今後も募っていくだろう現象の混乱とインフレの挟撃のなかにあって、分裂症にかからないで生きていくには、どうすればいいのか。それは僕にも殆ど解らないのである。やがて人類は原子力を統制する力を失って自滅するのではないかと思っただけでも、僕の方が既に心の統制を失いそうである。だが、僕はやはり祈らずにはいられない。暗い不安に駆りたてられるあまり心が凶暴に陥らないことを、つねにつねに、やさしい心と静かな理性を、人類のために、自分自身のためにも祈りつづけるばかりである。
底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版
1983(昭和58)年8月1日初版第一刷発行
入力:ジェラスガイ
校正:大野晋
2002年7月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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