「るのです。膝のあたりしかない海の中を、その男は恐ろしい大股で歩いて行きます。だが、ボートは半リーグばかりも先に進んでいたし、あたりは鋭い岩だらけの海だったので、この怪物も、ボートに追いつくことはできなかったのです。
もっとも、これはあとから聞いた話なのです。そのときの私は、そんなものを見ているどころではありません。もと来た道を夢中で駈けだし、それから私は、とにかく、嶮《けわ》しい山の中をよじのぼりました。山の上にのぼってみると、あたりの様子が、いくらかわかりました。土地は見事に耕されていますが、何より私を驚かしたのは、草の大きいことです。そこらに生えている草の高さが、二十フィート以上ありました。
やがて、私は国道へ出ました。国道といっても、実は、麦畑の中の小路なのでしたが、私には、まるで国道のように思えたのです。しばらく、この道を歩いてみましたが、両側とも、ほとんど何も見えないのでした。とりいれ[#「とりいれ」に傍点]も近づいた麦が、四十フィートからの高さに、伸びています。一時間ばかりもかゝって、この畑の端へ出てみると、高さ百二十フィートもある垣で、この畑が囲まれているのがわかりました。だが、樹木などは、あんまり高いので、私には見当がつきませんでした。
この畑から隣りの畑へ通じる段々があり、それが四段になっていて、一番上の段まで行くと、一つの石をまたぐようになっていました。一段の高さが六フィートもあって、上の石は二十フィート以上もあるので、とても私には、そこは通れませんでした。
どこか垣に破れ目でもないかしら、と探していると、隣りの畑から、一人の人間がこちらの段々の方へやって来ました。人間といっても、これは、さっきボートを追っかけていたのと同じくらいの大きな怪物です。背の丈は、塔の高さくらいはあり、一歩あるく幅が、十ヤードからありそうです。私は胆をつぶし、麦畑の中に逃げ込んで、身を隠しました。
そこから見ていると、その男は段々の上に立ち上って、右隣りの畑の方を振り向いて、何か大声で叫びました。その声のもの凄いこと、私ははじめ雷かと思ったくらいでした。
すると、手に/\鎌を持った、同じような、七人の怪物が、ぞろ/\と集ってくるではありませんか。鎌といっても、普通の大鎌の六倍からあるのを持っているのです。が、この七人は、あまり身なりもよくないので、召使らしく思えました。はじめの男が何か言いつけると、彼等は私の隠れている畑を刈りだしました。
私は、できるだけ遠くへ逃げようとしましたが、この逃げ路が、なか/\難儀でした。なにしろ、株と株との間が一フィートしかないところもあります。これでは、私の身体でも、なか/\通りにくいのでした。どうにかこうにか進んでいるうちに、麦が風雨で倒れてしまっているところへ出ました。もう、私は一歩も前進できません。茎がいくつも絡み合っていて、潜り抜けることもできないし、倒れた麦の穂先は、ナイフのように尖っていて、それが、洋服ごしに、私の身体を突き刺しそうなのです。
そうこうしているうちに、鎌の音は、百ヤードとない後から、近づいて来ます。私はすっかり、へたばって、もう立っている力もなくなりました。畝《うね》と畝との間に横になると、いっそ、このまゝ死んでしまいたい、と思いました。私は、残してきた妻や子供たちのことが、眼に浮んできました。みんながとめるのもきかないで、航海に出たのが、今になって無念でした。ふと、私はリリパットのことも思い出しました。あの国の住民たちは、この私を、驚くべき怪物として、尊敬してくれたし、あの国でなら、一艦隊をそっくり引きずって帰ることだってできたのです。
だが、こゝでは、こんな、とてつもない、大きな連中に会っては、この私はまるで芥子粒《けしつぶ》みたいなものです。今に誰かこの大きな怪物の一人につかまったら、私は一口にパクリと食われてしまうでしょう。しかし、この世界の果てには、リリパットより、もっと小さな人間だっているかもしれないし、その世界の果てには、今こゝにいる大きな人間より、もっと/\大きな人間だっているかもしれないと、私は恐怖で気が遠くなっていながら、こんなことを思いつゞけていました。
そのうちに、刈手の一人が、私の寝ている畝《うね》から、十ヤードのところまで、近づいて来ました。もう、この次には、足で踏みつぶされるか、鎌で真二つに切られるかもわかりません。その男が動きかけると、私は大声でわめきちらし、助けを求めました。
巨人は立ちどまって、しばらく、あたりを見まわしていましたが、ふと、地面にひれふしている私を、見つけました。この小さな、危険な、動物を、騒がれないように、噛まれないように、つかまえるには、どうしたらいゝのかしら、といった顔つきで、彼はしばらく考
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