「だけに憂ウツであった。だが周囲の悲惨な人々にくらべると、私はまだ幸福な方かもしれなかった。私はほとんど傷も受けなかったし、ピンと立って歩くことができたのだ。
八日の朝があけると私は東練兵場を横切って広島駅をめざして歩いて行った、朝日がキラキラ輝いていた。見渡すかぎり、何とも異様なながめであった。
駅の地点にたどりつくと、焼けた建物の脇で、水兵の一隊がシャベルを振り回して、破片のとりかたづけをしていた。非常に敏ショウで発ラツたる動作なのだ。ザザザザと破片をすくう音が私の耳にのこった。そこから少し離れた路上にテーブルが一つぽつんと置いてある。それが広島駅の事務所らしかった。私はその受付に行って汽車がいま開通しているものかどうか尋ねてみた。
それから私は東照宮の方へ引かえしたのだが、ふと練兵場の柳の木のあたりに、一匹の馬がぼんやりたたずんでいる姿が目にうつった。これはクラもなにもしていない裸馬だった。見たところ、馬は別に負傷もしていないようだが、実にショウ然として首を低く下にさげている。何ごとかを驚き嘆いているような不思議な姿なのだ。
私は東照宮の境内に引かえすと石垣の横の日陰に横臥していた。昼ごろ罹災証明がもらえて戻ってくると今度は間もなく三原市から救援のトラックがやって来た。
私は大きなニギリ飯を二つてのひらに受けとって、石垣の日陰にもどった。ひもじかったので何気なく私は食べはじめた。しかしふとお前はいまここで平気で飯を食べておられるのか、という意識がなぜか切なく私の頭にひらめいた。と、それがいけなかった。たちまち私は「オウド」を感じてノドの奥がぎくりと揺らいできた。
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ガリヴァの歌
必死で逃げてゆくガリヴァにとって
巨大な雲は真紅に灼けただれ
その雲の裂け目より
屍体はパラパラと転がり墜つ
轟然と憫然と宇宙は沈黙す
されど後より後より迫まくってくる
ヤーフどもの哄笑と脅迫の爪
いかなればかくも生の恥辱に耐えて
生きながらえん と叫ばんとすれど
その声は馬のいななきとなりて悶絶す
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底本:「ガリバー旅行記」講談社文芸文庫、講談社
1995(平成7)年6月10日第1刷発行
底本の親本:「定本原民喜全集2」青土社
1978(昭和43)年9月
※底本の奥付には、原著作者の表示はありません。し
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