セ。男はキャッと叫んで気絶する。――この話は子供心に私をぞっとさすものがありました。一度遇ったお化けに二度も遇わすなど、怪談というものも、なかなか手のこんだ構成法をとっているようです。
 先日から僕はスゥイフトのガリヴァ旅行記をかなり詳しく読み返してみました。小人国の話なら子供の頃から聞かされています。夏の日もうっとりして、よく僕は小人の世界を想像したものです。子供心には想像するものは、実在するものと殆ど同じように空間へ溶けあっていたようです。そういえば、少年の僕は、船乗りになりたかったのです。膝をかかえて、老水夫の話にきき入っている少年ウォター・ロレイの絵を御存知ですか。あの少年の顔は、少年の僕にとても気に入っていたのです。

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地図を愛し版画を好む少年には宇宙はその広大なる食慾に等し。
ああ! ランプの光のもと世界はいかに大なることよ!
されど追憶の眼に映せばいかばかり小なる世界ぞ!
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 ボードレールは「航海」という詩でこう嘆じていますが、僕自身は今でもまだ人生の航海を卒業していない人間のようです。
 しかし、近頃の新聞記事を読むと、何だか、この地球はリリパットのように、ちっぽけな存在に思えて来るのです。卵を割って食べるのに、小さい方の端を割るべきか、大きい方の端を割るべきかと、二つの意見の相違から絶えず戦争をくりかえさねばならないほど、小っぽけな世界に……
 だが、小人国から大人国、ラピュタ、馬の国と、つぎつぎに読んで行くうちに、僕はもっとさまざまのことを考えさせられました。この四つの世界は起承転結の配列によって、みごとに効果をあげているようですが、僕を少しぞっとさせるのは、あの怪談に似た手のこんだ構成法でした。
 小人国からの帰りに、ガリヴァは船長にむかって体験談をすると、てっきり頭がどうかしていると思われます。そこでポケットから小さな牛や羊をとり出して見せるのです。そして、その豆粒ほどの家畜をイギリスに持って帰って飼ったなどというところは、まだ軽い気分で読めます。しかし、大人国からの帰りには、ガリヴァは箱のなかにいて、鷲にさらわれて海に墜されて船で救われるのですが、ここでも船員たちとガリヴァとの感覚がまるで喰いちがっています。最初私を発見したとき何か大きな鳥でも飛んでいなかったかと、ガリヴァが訊ねると、船員の
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