までハイヤが通ると云ふことで、私達は自動車《くるま》で山へむかつた。
 此地帶は、山うるしや、どろの木、白樺、柏、澤梨《さんなし》、ゑんじゆ[#「ゑんじゆ」に白丸傍点]のやうな樹木が多くて、緑の色は内地より淺い。
 摩周山は海拔三百五十米位で、湖の深さは二百米ばかりあるとか聞いた。摩周山の中腹から見える湖の姿はぽつんと鏡を置いたやうであつた。此鏡のやうな湖心にはカムイシユと云ふ黒子のやうな島があり、まるで浮いてゐるやうであつた。去來する雲の姿が露西亞《ロシア》の映畫のやうに明るく見えて、波一ツない靜けさである。湖の向うには摩周の劔のやうな頂上が雲の中へ隱れてゐるやうに見えた。湖岸は降りてゆくにむづかしい絶壁で、遠く地底に眺める湖だけに暗く秀いでゝゐる。紅鱒やザリガニを放つてあると云ふことだが、あんまり波がないので、死んだ湖のやうに見える。足元は熊笹と白樺の若木で、風が下から吹きあげて來た。
 此邊いつたいを阿寒地帶と云つて、私の立つてゐる熊笹の丘から雌雄の阿寒岳の峰や、斜里《しやり》岳|漂津《しべつ》の重なつた山々の姿がパノラマのやうに眼に這入つて來る。
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雲のよ
雲の海かよ渦卷く霧に
煙る摩周湖七彩八變化
かはる姿のとなこ[#「となこ」に白丸傍点]
おもしろや。
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 これは摩周湖小唄とでも云ふのであらうが、この唄では摩周の湖も氣の毒すぎる。私は北海道へ來て、興味を持つてゐる湖はこの摩周と、帶廣の奧の然別《しかりべつ》湖であつた。摩周湖は自分の空想した湖よりも神々しかつた。渚に人を寄せつけない孤立した湖だけに、地味で雄大であつた。晴れ間に姿を現はしてゐる間はまことに束の間で、何時も霧か雲で姿を隱してゐると云ふことである。
 摩周の湖へ出るには、釧路から舌辛《したから》驛へ出て、阿寒湖めぐりをして、摩周湖へ着くのが風景がいゝらしい。――私達は、それより山を降りて、北見の國境近い屈斜路湖《くつしやろこ》へ向かつた。
 山を降りると、もう天候が氣むづかしくなつて、雨氣をふくんだ風が沿道の森林の梢を氣味惡く圓く吹きあげて行く。
 屈斜路湖は周圍四十七粁で、まるで海のやうにも見える。まづ南方の方から這入つて行つた。此邊の御料地にはポントウ、オサツペ、エントコマツプ、サツテキナイなぞの部落があつて、途中の和琴小學校では運動會があつた
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