イ……。

信州の山深い古里を持つ
かの女も
茶色のマントをふくらませ
いつもの白い歯で叫んだのです。
――明日は明日の風が吹くから、ありったけのぜにで買って送りましょう……
小僧さんの持った木箱には
さつまあげ、鮭のごまふり、鯛の飴干し

二人は同じような笑いを感受しあって
日本橋に立ちました。

日本橋! 日本橋!
日本橋はよいところ
白い鴎が飛んでいた。

二人はなぜか淋しく手を握りあって歩いたのです。
ガラスのように固い空気なんて突き破って行こう
二人はどん底[#「どん底」に傍点]を唄いながら
気ぜわしい街ではじけるように笑いました。
[#ここで字下げ終わり]

 私は食物の持つ、なつかしい木箱の匂いを胸に抱いて、国へのお歳暮を楽しんだ。

 十二月×日
「こんやは、庄野さんが遊びに来てよ、ひょっとすると、貴女の詩集位いは出してくれるかもわからない、福岡日々の社長の息子ですってよ……。」
 たいさんと二人でいつもの夕飯を食べ終ると、二人は隣りの部屋の、軍人上りの株屋さんだと云う、子持ちの夫婦者のところへ、まねかれて行く。
「貴女達は呑気そうですね。」
 たいさんも私もニヤニヤ笑っている。
 お茶をよばれながら、三十分も話をしていると、庄野さんがやって来た。インバネスを着て、ゾロゾロした格構だ。
 此人は酔っぱらっているんじゃないかと思う程クニャクニャしていた、でも人の良さそうな坊ちゃんだが。
 こんな人に詩集を出してもらったって仕様がない。
 私は菓子を買って来た。炬燵にあたって三人で雑談する。
 飯田さんと、山本さん二人ではいって来る。たゞならない空気だ。
「××××!」
 飯田さんが最初に投げつけた言葉はこれであった。たい子さんの額に、インキ壺が飛ぶ、唾が飛ぶ、私は男への反感がむらむらと燃えた。
「何をするんです。又たい子さんもどうしたのこれは……。」

 たいさんは、ボウダと涙をせぐりあげながら話した、飯田にいじめられていると、山本のいゝところが浮ぶのです。山本のところへ行くと、山本がものたりなくなるのです。
「どっちをお前は本当に愛しているのだ!」
 飯田さんは、悪党だ。私は二人の男がにくらしかった。
「何だ貴方達だって、いゝかげんな事してるじゃないかッ!」
「なにッ!」
 飯田さんはキラリと私を睨む。
「私は飯田を愛しています。」
 たい子さんはキッパリ云い切ると、飯田さんをジロリと見上げた。
 私はたいさんが憎らしかった、こんなにブジョクされて……山本さんは溝へ落ちた鼠のように、しょんぼりすると、蒲団は僕のものだから持ってかえると云い出した。
 すべてが渦である。
 たい子さんはいち早く山田清三郎氏のところへ逃げて行った。
 私はブツブツ云いながら三人の男たちと外に出た。
 カフェーにはいって、酒を呑む程に、酔がまわる程に、四人はますますくだらなく[#「くだらなく」に傍点]なって来る。
 庄野さんは、下宿へ来て泊れと云う。蒲団のない寒さを思うと、私は庄野さんと自動車に乗って、舌たらずのギコウ[#「ギコウ」に傍点]にまけてなるものか、私は酒に酔ったまねが大変上手だ。

 二人はフトンの上に、二等分に帯をひっぱって寝た。
「山本君だって飯田君だって、たいさんだってあとで聞いたら、関係があると云うかも知れないね。」
「云ったっていゝでしょう。貴方も公明正大なら、私も公明正大ね、一夜の宿をしてくれてもいゝでしょう。蒲団がなけりゃ仕様がない」
 私は出もどりのヴァージンだ。どっかに、一生をたくす男がある筈だ、私は、私に許された領分だけ手足をのばして目をとじた。
 たいさんも宿が出来たかしら……目頭に熱い涙が湧いた。
「庄野さん! 明日起きたら、御飯食べさせてね、お金もかしてね、原稿を新聞にかくから……。」
 私は朝まで眠ってはならないと思った。男のコオフン状態なんて、政治家と同じようなものさ、駄目だと思ったらケロリとしている。

 明日になったら、又どっかへ行くみち[#「みち」に傍点]をみつけなくちゃあ……。

 十二月×日
 ゆかい[#「ゆかい」に傍点]な朝だ、一人の男に打ち勝って私は意気ようようと、酒屋の二階に帰える。
 たいさんが帰えっていた。畳の上で何か焼いた跡らしく、点々と焦げて、たいさんの茶色のマントが、散々に破られていた。
「庄野さんとこへ昨夜泊ったのよ。」
 たいさんはニヤリと笑った。
 私はもう捨てばちである。
 たいさんは結婚するかも知れないと云う。うらやましくて仕様がない。
 今は只沈黙っていたいと云う、淋しかったが、たいさんの顔は更生に輝いていた。
 みじめな者は私一人じゃないか、私はぺしゃんこ[#「ぺしゃんこ」に傍点]にくず折れた気持ちで、片づけて行くたい子さんの白い手を見ていた。
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