ゃろ、こっちゃいおはいりな……。」
 噴水の横の鳩の豆を売るお婆さんが、豚小屋のような店から声をかけてくれた。
 私は人なつっこい笑顔で、お婆さんの親切に報いるべく、頭のつかえそうな、アンペラ張りの店へはいって行った。
 文字通り、それは小屋で、バスケットに腰をかけると、豆くさいけれど、それでも涼しかった。
 ふやけた大豆が石油鑵の中につけてあった。
 ガラスの蓋をした二ツの箱には、おみくじや、固い昆布がはいっていて、いっぱいほこりをかぶっていた。
「お婆さん、その豆一皿ください。」
 五銭の白銅を置くと、しなびた手でお婆さんは私の手をはらった。
「ぜゞなぞほっとき。」
 此お婆さんにいくつ[#「いくつ」に傍点]ですと聞くと、七十六だと云った。
 虫の食ったおヒナ様のようにしおらしい。
「東京はもう地震はなおりましたかいな。」
 歯のないお婆さんはきんちゃく[#「きんちゃく」に傍点]をしぼったような口をして、優さしい表情をする。
「お婆さんお上り。」
 私がバスケットから、お弁当を出すと、お婆さんはニコニコして、玉子焼きを口にふくらます。

「お婆あはん、暑うおまんなあ。」
 お婆さんの友達らしく、腰のしゃんとしたみすぼらしい老婆が、店の前にしゃがむと、
「お婆あはん、何ぞえゝ、仕事ありまへんやろかな、でもな、あんまりぶらぶらしてますよって、会長はんも、えゝ顔しやはらへんのでなあ、なんぞ思うてまんねえ……。」
「そうやなあ、栄町の宿屋はんやけど、蒲団の洗濯があるいうてましたけんど、なんぼう……廿銭も出すやろか……。」
「そりやえゝなあ、二枚洗ろうてもわて[#「わて」に傍点]食えますがな……。」
 こだわりのない二人のお婆さんを見ていると、こんなところにもこんな世界があるのかと、淋しくなった。

 とうとう夜になってしまった。
 港の灯のつきそめる頃は、真実そゞろ心になってしまう。でも朝から、汗をふくんでいる着物の私は、ワッと泣たい程切なかった。
 これでもへこたれないか! これでもか! 何かゞ頭をおさえているようで、私はまだまだ、と口につぶやきながら、当もなく軒をひらって歩いていると、バスケット姿が、オイチニイの薬屋よりもはかなく思えた。
 お婆さんに聞いた商人宿はじきわかった。
 全く国へ帰っても仕様のない私なのだ、お婆さんが、御飯焚きならあると云ったけれど。――
前へ 次へ
全114ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング