さんもそんな事はだまっている。
 私もそんな事を聞くのは腹がいたくなる。二人共だまって、電車から降りると、青い青い海を見はらしながら丘へ出た。
「久し振りよ海は……。」
「寒いけど……いゝわね海は……。」
「いゝとも、こんなに男らしい海を見ると、裸になって飛びこんでみたいね。まるで青い色がとけてるようじゃないか。」
「ほんと! おっかないわ……」

 ネクタイをひらひらさせた二人の西洋人が、雁木に腰をかけて波の荒い風景にみいっていた。
「ホテルってあすこよ!」
 目のはやい君ちゃんがみつけたのは、白いあひるの小屋のような小さな酒場だった。二階の歪んだ窓には汚点だらけな毛布が青い太陽にてらされて、いいようのない幻滅だった。
「かえろう!」
「ホテルってこんなの……。」
 朱色の着物を着た可愛らしい女が、ホテルのポーチで黒い犬をあやして一人でキャッキャッ笑っていた。
「がっかりした……。」
 二人共又おしだまって向うの向うの寒い茫々とした海を見た。
 鳥になりたい。
 小さいカバンでもさげて旅をするといゝだろう……君ちゃんの日本風なひさし髪が風にあれて、雪の降る日の柳のようにいじらしく見えた。

 十二月×日
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風が鳴る白い空だ
冬のステキに冷い海だ
狂人だってキリキリ舞いをして
目のさめそうな大海原だ
四国まで一本筋の航路だ

毛布が二十銭お菓子が十銭
三等客室はくたばりかけたどじょう鍋のように
ものすごいフットウだ

しぶきだ雨のようなしぶきだ
みはるかす白い空を眺め
十一銭在中の財布を握っていた。

あゝバットでも吸いたい
オオ! と叫んでも
風が吹き消して行くよ

白い大空に
私に酢を呑ませた男の顔が
あんなに大きく、あんなに大きく

あゝやっぱり淋しい一人旅だ!
[#ここで字下げ終わり]

 腹の底をゆするような、ボオウ! ボオウ! と鳴る蒸汽の音に、鉛色によどんだ小さな渦巻が幾つか海のあなたに、一ツ一ツ消えて唸りをふくんだ冷い十二月の風が、乱れた私の銀杏返しの鬢を、ペッシャンと頬っぺたにくっつけるように吹いてゆく。
 八ツ口に両手を入れて、じっと自分の乳房をおさえていると、冷い乳首の感触が、わけもなく甘っぽく涙をさそってくる。
 ――あゝ、何もかにもに負けてしまった!
 東京を遠く離れて、青い海の上をつっぱしっていると、色々に交渉のあっ
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