スイスイとしたいゝ気持だった。
雷も雨も、破れるように響いてくれ。
自動車は雨に打たれたまゝ夜の櫟林に転がってしまった。
私は男の息苦るしさを感じた。機械油くさい葉っぱ服に押されると、私はおかしくもない笑いがこみ上げて来た。
十七八の娘でもあるまいし、私は逃げる道を上手に心得ておりまする。私が男の首に手を巻いて言った事は、
「あんたは、まだ私を愛してるとも何とも言わないじゃないの……暴力で来る愛情なんて、私大嫌いさ、私が可愛かったら、もっとおとなしくなくちゃ厭だよだ。」
私は男の腕に女狼のような歯形《くち》を当てた。
私は胸が迫った。男の弱点《よわみ》と、女の弱点《よわみ》の闘争だ。
雷と雨……夜がしらみかけた頃、男は汚れたまゝの顔で眠っている。ふゝんハイボク[#「ハイボク」に傍点]の兵士か!
遠くで青空《レイメイ》をつげる鶏の声がする。朗らかな夏の朝、昨夜の情熱なんかケロリとして、風が絹のようにしゅうしゅう[#「しゅうしゅう」に傍点]流れている。
此男があの人だったら……コッケイな男の顔を自動車に振り捨てたまゝ私は泥んこの道に降りた。
紙一重の昨夜のつかれに、腫れぼったい瞳を風に吹かせて、久し振りに晴々と故郷のような路を歩いた。
芙美子はケイベツすべき女で厶います!
荒みきった私は、つッと櫟林を抜けると、松さんが、いじらしくなった。疲れて子供のように自動車に寝ている男の事を思うと、走ってかえって起してやろうかしら……でも恥ずかしがるかも知れないな、私は松さんが落ちついて、運転台で煙草を吸っていた事を思うと、やっぱり厭な男に思えた。
誰か、私を愛《いと》しがって呉《くれ》る人はないか、七月の空に流離の雲が流れている、私の姿だ。野花を摘み摘みプロヴァンスの唄を唄った。
八月×日
女給達に手紙を書いてやる。秋田から来たばかりの、おみき[#「おみき」に傍点]さんが鉛筆を甞めながら眠りこけている。
酒場ではお上さんが、一本のキング、オヴ、キングを清水で七本に利殖している。埃と、むし暑さ、氷を沢山呑むと、髪の毛が沢山抜けると云って氷を呑まない由ちゃんも、冷蔵庫から氷の塊を盗んで来ては、パリパリ噛んでいる。
「一寸! ラブレターって、どんな書き出しがいゝの……。」
八重ちゃんが真黒な瞳をクルクルさせて、赤い唇を鳴らす。
秋田とサガレ
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