ばかりの金を借して、もう馴々しく、人に葱を刻ませようとしている。
あんな人間に図々しくされると一番たまらない。
遠くで餅をつく勇ましい音が聞える。
私は沈黙ってボリボリ大根の塩漬を噛んでいたが、台所の方も佗しそうに、コツコツ葱を刻み出した。
「あゝ刻んであげましょう。」
沈黙っているにはしのびない悲しさで、障子を開けて、松田さんの鉋丁を取った。
「昨夜はありがとう、五円叔母さんに払って、五円残ってますから、五円お返ししときますわ。」
松田さんは沈黙って竹の皮から滴るように紅い肉片を取って鍋に入れていた。ふと見上げた歪んだ松田さんの顔に、小さい涙が一滴光っていた。
奥では弄花が始ったのか、叔母さんの、いつものヒステリー声がビンビン天井をつき抜けて行く。
松田さんは沈黙ったまま米を磨ぎ出した。
「アラ、御飯まだ焚かなかったんですか。」
「えゝ貴女が御飯を食べていらっしたから、肉を早く上げようと思って。」
洋食皿に割けてもらった肉が、どんな思いで私の食道を通ったか。
私は色んな人の姿を思い浮べた。
そしてみんなくだらなく思えた。
松田さんと結婚してもいゝと思えた、始めて松田さんの部屋へ遊びに行く。
松田さんは、新聞紙をひろげて、ゴソゴソさせながら、お正月の餅をそろえて笊へ入れていた。
あんなにも、なごやかにくずれていた気持ちが、又前よりもさらに凄くキリヽッと弓をはって、私はそっと部屋へ帰った。
「寿司屋もつまらないし……」
外は嵐。
キュウピーよ、早く鳩ポッポだ。
吹き荒さめ、吹き荒さめ、嵐よ吹雪よ。
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――何だかあんまり長くなりましたので、これで一寸ひとやすみしましょう。気分が新らしくなりましたら、又続けます。長谷川氏及び愛読者諸氏の好意を謝します。筆者――
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裸になって
四月×日
今日はメリヤス屋の安さんの案内で、親分のところへ酒を入れる。
道玄坂の漬物屋の露路口に、土木請負の看板をくゞって、奇麗ではないが、ふきこんだ格子を開けると、いつも昼間場所割りをしてくれるお爺さんが、火鉢のそばで茶をすゝっていた。
「今晩から夜店をしなさるって、昼も夜も出しゃあ、今に銀行が建ちましょうよ。」
お爺さんは人のいゝ高笑いをして、私の持って行った一升の酒を受取った。
誰も知人のない東京だ。
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