つたンだけど、奧さんは死んぢやつて、女の子は親類へあづけてあるンだつて、アパートに獨りでゐるのよ。この近くなの……年は三十五ですつて……でもとても若く見えるひとなのよ。何處かお父さんの若い時に似てるひとよ」
隆吉はをかしくなつて眼をつぶつた。なるほど、わが娘ながら大したものである。躯の關係があるのかないのか、いゝ年をしてたづねてみるのもきまりが惡かつたけれども、そこまで話がついてゐる以上は、只事ではないにきまつてゐる。死んだと思へと云はれてみると、それもさうだと、隆吉は辛かつた。一年あまりの滿洲での苦勞を思ひ出さずにはゐられない。
「始めは口の惡いひとで、おこりつぽい人だつたンだけど、いまでは心の優しい人だつて判つたのよ。――お父さんをいゝひとだつて云つたわ。とても純情で、このごろは私の云ふとほりになるの……」
ほゝう……隆吉はまた眼を開けて天井を見た。小袋と小娘は油斷がならぬとはよく云つたものだと、その時期が來れば、自然に花粉を呼ぶしくみになつてゐる人間の世界が隆吉には面白くもある。娘と二人きりで働き、時時は昔がたりをして世をはかなむ愚はもうやめた方がよいのであらう。妙子は妙子なりに、この心細い親子の關係をたちきつて、自分のよりどころや、前途を考へるのも不思議はない。――急に宮内はなの細い眼もとを思ひ出した。
「お前とは、大分としが違ふね」
「えゝ、時々、そのひと笑ふのよ。お半長衞門だつて……お半長衞門つてなんだか知らないけど、そんな事どうでもいゝのよ。一緒にゐるのが幸福なンだもの……。少々ひもじい思ひをしても二人とも何ともないの。だから、私に月給をくれゝば、私はそこから通つて來て、みんなにじやんじやん酒を飮まして、崩浪亭をうんとまうけさしてあげるの……。お父さんだつて、宮内さんを貰へば幸福になるわ。もう鷄の聲をきかなくつても、宮内さんが慰さめてくれるでせう?」
妙子はくすりと笑つた。鷄の聲をきくと、お母さんの事を思ひ出すねと、口ぐせに云つてゐたのを妙子はちやんと覺えてゐたのである。
二三日して、とぼしい手まはりのものを持つて妙子は隆吉におくられて、伊織《いおり》のアパートに行つた。伊織はちやんと部屋の中を片づけて待つてゐた。妙子は宮内さんのつくつてくれた灰色のスーツを着こんで、いつになくめかしこんでゐた。大柄なせゐかはたち位にはみえた。腰つきもふくらみ
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