のに愕《おどろ》き、その言葉で歌った日本の詩に金鉱を掘りあてたようなほこり[#「ほこり」に傍点]を持ったのです。近年、ロマン主義だとか能動精神だとか行動主義だとか云われるようになったけれども、誰も彼も詩を探しているのではないだろうかと思ったりします。大切なものが忘れられているような気がします。
帰って来ても、相変らず孤独で、いずれのグループにも拠っていないのですが、こつこつやって、努力するしか仕方がないと思っています。
帰ってすぐ、私は詩へのあこがれから、自費出版の形式で『面影』と云う未熟な詩集を出しました。保高徳蔵《やすたかとくぞう》氏の友情で出せたのですが、百の自分の小説よりも愉しいのです。
頃日《けいじつ》、私はやっと雑文を書く世界から解放されましたが、随分この時代が長かっただけに、ここから抜け出すことが大変苦しかったのです、これから再出発して小説と詩に専念したいと思います。生意気な話だけれども、ツルゲーネフにしたって、イプセンにしたって、フィリップにしたって、犀星にしても春夫にしても沢山いい詩を発表しているのですから、小説のかたわら詩を書けることは、自分自身に大変勇気の出ることだと思います。秋元氏の訳された作家プウシキンのうぐいすも、大変私をシゲキしてくれます。「くらく、しずけき真夜中を、園にして薔薇の色香をたたえつつ、鴬うたう。されども薔薇は、心ある鳥の歌に答えせず。うつらうつらと夢心地、たのしき歌を聞きつつも、ただにまどろむ。同じからずや、詩人《うたびと》よ、君がさだめのうぐいすに……」もうこんなのを読みますと、仕事々々と思います。日本の犀星氏、春夫氏も大事にしてあげなくてはいけないと思ったりします。
私はいま、七人の家族で暮らしています。昔のように、食べることにはどうやら困らなくなりましたが、これからが大変だと思います。本当の文学的自叙伝もこれから生れて来るのだと考えております。
底本:「林芙美子随筆集」岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年2月14日第1刷発行
2003(平成15)年3月5日第2刷発行
初出:「改造 昭和10年8月号」
1935(昭和10)年8月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:noriko saito
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