ついていた。部屋の隅に母が鼠《ねずみ》よりも小さく私の眼に写った。父が、その母の前で、巡査《じゅんさ》にぴしぴしビンタ[#「ビンタ」に傍点]を殴られていた。
「さあ、唄うてみんか!」
父は、奇妙《きみょう》な声で、風琴を鳴らしながら、
「二瓶つければ雪の肌」と、唄をうたった。
「もっと大きな声で唄わんかッ!」
「ハッハッ……うどん粉つけて、雪の肌いなりゃア、安かものじゃ」
悲しさがこみあげて来た。父は闇雲《やみくも》に、巡査に、ビンタ[#「ビンタ」に傍点]をぶたれていた。
「馬鹿たれ! 馬鹿たれ!」
私は猿《さる》のように声をあげると、海岸の方へ走って行った。
「まさこヨイ!」と呼ぶ、母の声を聞いたが、私の耳底には、いつまでも何か遠く、歯車のようなものがギリギリ鳴っていた。
[#地から1字上げ](昭和六年四月)
底本:「ちくま日本文学全集 林芙美子」筑摩書房
1992(平成4)年12月18日第1刷発行
底本の親本:「現代日本文学大系 69」筑摩書房
1969(昭和44)年
初出:「改造」
1931(昭和6)年4月
入力:土屋隆
校正:林幸雄
2006年9月21日作成
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