、何でもないやうな容子をしてゐて、案外膳の上には嘉吉の好きなお菜が一二品並び、商売のあつたやうな日なぞは、猫板の上に銚子が乗つてゐることもあつた。どつちかと云へば、嘉吉よりもなか子の方が仲々酒好きで、時々台所で冷酒をひつかけてゐるのを嘉吉は屡々とがめる事があつたが、「わたしは好きぢやないのよ、好きなのは腹の虫なンだから仕方がないわよ」と云つて、夜なぞ酔つたまぎれに寝床へ這入ると、きまつて、お化けだお化けだと唸つてみせた。――本当にお化けが出るのでもなければ、良心がとがめて、架空のお化けを感じて云ふと云ふのでもない。只酒を飲んで、「あゝいゝ気持ちだわ」と云ふことが、何となく亭主の前では憚ばかられて、口の先では、「お化けだよウ」と呶鳴り、心のうちでは牛の舌のやうな奴をべろんと出していゝ気持に、船底枕をごりごりゆすぶつて嘉吉を気味悪るがらせておくのであつた。嘉吉は嘉吉で、隣の寝床で「お化けだお化けだ」と云はれると、何となく、背中が冷たくなるのであつたが、こいつ、照れ隠くしかも知れぬと、云はせたいだけ云はせて森としてゐる。嘉吉が森としてゐると、なか子は「どうだ参いつたか」と、何時の間にか子供のやうに黙りこむのであつたが、今度はかへつて、亡くなつたお神さんと、毎晩こんな風に寝てゐたのだらうと、急に、背筋がぞくぞくしてしまつて、「起きてゝよ、ねえ」と云つて、嘉吉の枕を引つぱるのであつた。枕を引つぱられると、嘉吉も、そうそう寝た真以は出来ず、××××××で惰勢[#「惰勢」は底本では「楕勢」]に墜ちてしまふのであつたが、不思議に厭になつて来る女ではなかつた。寝物語りに他の男の事を考へてゐる時があるのよ、とまるで娼婦のやうなことを平気で云つたが、死んだ女房のやうに、とぼけて寝てしまふやうなことはしなかつたし、根が、小料理屋へ努めてゐた女なので、あけすけなのでもあらう、世の常の女房のやうに、×××××を時雨のやうに味気ないものだとは云はせないで、嘉吉に対して、まるでもう、野山でたわむれる獣か何かのやうなふるまひなのである。どこから、そのやうな力が湧いて来るのか、日中、嘉吉は襯衣箱や、鬼足袋の上にはたきをあてながら、不図、そんなことを凝つと考へてゐる折があつた。

 なか子が家へ入りこんで二年目位から、店のなかは砂が乾いてしまつたやうに品物が一つならべの状態で、ハンカチも半ダースと同じも
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